もしも「白雪姫」の語り手があずきみみこだったら
割と最近、
あるところに白雪姫という人間がいました。
白雪姫は、清掃スタッフとして
ホテルで働いています。
シフトの僅かな休憩時間で
セブンイレブンの
すじこおにぎりを頬張る白雪姫。
今日も忙しそうです。
白雪姫が働いているのは
ホテル・グリムという
大手のビジネスホテルチェーン。
清掃スタッフはたくさんいるようですが、
白雪姫がよく顔を合わせるのは
いつも同じ人たちです。
いつでもごきげんなおばさん、
すぐ怒るおばさん、
寝坊しがちなおばさん、
すぐすっとぼけるおばさん、
照れ屋なおばさん、
昔教師だったおばさん、
花粉症のおばさん。
7人の愉快なおばさんたちは
いつも愚痴をこぼしながら
白雪姫と一緒に働いています。
白雪姫も最初は7人のおばさんの
みなぎるパワーに気圧されていましたが、
今では適度に距離を取りながら
それなりに快適なバイト生活を送っていました。
ところで、白雪姫、というのは本当の名です。
白雪家のお父さんとお母さんは
生まれてきた我が子が
お姫様のように美しかったので
感動そのままに
その子を姫と名付けました。
そして白雪姫は
大切に大切に育てられ
すくすくと育ち
パンクな25歳になりました。
今はライブの資金を稼ぐために
日々働いています。
さて話は戻り、
今日はエリアマネージャーが来る日です。
そのエリアマネージャーというのは
どっぷりと自分に陶酔していて、
己を中心に世界が回っていると
信じて止まない人物のことです。
いつも来るやいなや、
「私より美人な子、入った?」と聞くので
白雪姫ら従業員は「いいえ、
エリアマネージャーが一番美しいです」
と言わなければなりません。
面倒くさい人です。
そんなナルシストな彼女は
陰で「シストさん」と呼ばれていました。
そして今日はなんと、王子も来る日です。
王子というのはこのホテルの
副社長のことです。
王子は社長の息子で、
高校でたくさん遊び、大学でもたくさん遊び、
そして思う存分フラフラしたあと
副社長になりました。
過保護に育てられた王子は
シストさんも足元に及ばない
くらいのナルシストで、
従業員たちには「おはよう諸君」
とあいさつします。
そのため彼は自然と
王子と呼ばれるようになりました。
ときどき7人のおばさんが茶化したように
「王子」と彼を呼ぶことがありますが
王子はまんざらでもない様子です。
王子は白雪姫を見つけるとすぐに
近寄ってきました。
「ヤァ姫、最近の仕事はどうだい?」
どうやら王子は白雪姫のことを
えらく気に入っているようです。
ですが白雪姫は恋愛に興味がないし、
ましてや王子のことは
どちらかというとちょっと嫌いです。
気軽に「姫」と名前で呼んでくるところも
しゃくに障っていました。
それでも白雪姫は
最近ようやく身につけてきた社交性を
振り絞りながら、笑顔で対応しました。
はやく酒が飲みたいと思いました。
しばらくすると、
なんと社長もやってきました。
気さくで気前のいい社長です。
はてさて、
今日は何か特別な日なのでしょうか。
社長とシストさんが楽しく会話をしています。
どうやら2人は仲良しなようです。
シストさんが冗談めいた様子で
「私より美人な子が入ってないか
チェックしているんです〜」と
言ったので白雪姫は
(社長にも言うなんてすごい度胸だなぁ)
と変に感心していました。
すると社長は大きく笑ったあとで
「そんなの白雪さんが一番美人じゃないか〜」
と言い放ちました。
辺りは一瞬にして凍りつきました。
社長もさすがに
まずいことを言ったようだと察したらしく
シストさんを励ます言葉を
いくつか投げかけましたが、
全ては逆効果。
シストさんの表情は
みるみる凍りついていきました。
白雪姫はその日、もう恐ろしくて、
お腹が痛くて仕方がありませんでした。
「早く帰りたい」と「もうやめたい」が
交互に頭を占領していました。
それでも次の日、白雪姫は
根性でシフトに出ました。
偉いぞ自分、偉いぞ自分と
何度も己を鼓舞しました。
今日も7人のおばさんと一緒です。
7人のおばさんたちもさすがに白雪姫を
不憫に思ったらしく、
「昨日は災難だったねぇ」とか
「あれは社長が悪いんだよ!」とか
「あたし昨日寝坊してしまったから
その瞬間見られなかったのよねぇ」
などという言葉で白雪姫を慰めました。
白雪姫が僅かに感謝の気持ちを
抱いたその瞬間、
更衣室の扉が開きました。
そこにいたのはシストさんでした。
再び凍りつく現場、
顔が引き攣る7人のおばさんたち。
白雪姫は悟りました
「今日が私の命日だ」と。
針金を強引に曲げたような笑みで
白雪姫のパーソナルスペースに
侵入するシストさん。
手には紙袋を提げています。
「あら、おはよう白雪さん。今日もとっても素敵なお天気ね、うふふ。…昨日のこと?そぉんなこと気にしないで〜。あれはただの社長の冗談よ〜。私もなぁんにも気にしてないんだから。ねぇ、そうだ、そんな美人な白雪さんにプレゼントを持ってきたの、ふふ。アップルパイ、お好き?私が心を込めて作ったのよ。私これから白雪さんと仲良くしていきたいの。お友達の証として、よかったら今、食べてくださる?感想も聞きたいわ〜」
そう言ってシストさんは、
どこだかのデパートの紙袋から
やたらと高そうな箱を取り出し、
アップルパイの1切れを
白雪姫に差し出しました。
冷や汗が止まらない白雪姫、
生まれて初めて、足の先から頭の先まで
小刻みに震えているのを感じました。
絶体絶命なこの状況、
ましてや白雪姫、人が作ったものを
決して食べることができません。
誰か(もう王子でもいいから)
救世主がこの地獄部屋に
現れてくれることを切に願いましたが
その思い虚しく、
白雪姫はいよいよ
そのアップルパイを食べなくてはいけない
窮地に追い込まれました。
明らかに感じる
シストさんからの強烈な嫉妬と、
どんな衛生環境で作られたか
分からないものを食べなくては
ならないという絶望、
そしてここに毒が盛られている
かもしれないという恐怖。
その三重苦が彼女を襲い、
その艶やかなパイを一口齧ったとたん
気絶してしまいました。
慌てふためく7人のおばさんたち。
シストさんもさすがにバツが悪くなったようで
逃げるように部屋を出ていきました。
7人のおばさんたちは力を合わせて
白雪姫を看護。
どうにかこうにか医務室まで
運ぶことができました。
白雪姫を取り囲むように
彼女を見つめる7人のおばさんたち。
すると、どこから話を聞きつけたのでしょう。
王子が颯爽とやってきました。
「ヤァ諸君、一体どうしたんだい?」と王子。
7人のおばさんたちは
事の経緯をかいつまんで、
時には大きく盛って説明しました。
ロマンチックに悲しい表情を見せる王子。
「おぉ…なんて可哀想な姫君なんだ…」
すると7人のうちの
1人のおばさんが言いました。
「王子のキスで
意識を取り戻すんじゃないですか?」
まったく、7人のおばさんときたら
最近いいゴシップネタがないからと
このことを話の種にしようとしているのです。
困ったおばさんたちです。
さぁ、王子はというと
これまたまんざらでもない様子です。
7人のおばさんたちが煽るのを味方に、
王子はますます決意を固めてしまいました。
少しずつ、王子が
顔を寄せていきます。
絶体絶命の白雪姫。
するとどういうことでしょう。
キスまであと10㎝というところ、
白雪姫、意識消失のなかでも
己の危険を見事に察知して
気合いで目を覚ましました。
無事に意識を取り戻した白雪姫。
ホッとする彼女をよそに、
少し残念がる7人のおばさんたちと
とても残念がる王子。
こうしてこの一件は
終わりを迎えました。
ー1ヶ月後、
いつものように真面目に働く白雪姫。
あの恐ろしいシストさんはというと
あの後すぐに幹部との不倫がバレて
左遷されてしまいました。
これで、白雪姫の前に現れることは
なさそうです。
白雪姫はこれからも平和に、
そして時々面倒なことに巻き込まれながら
7人のおばさんとのバイト生活を
続けていくのでした。
めでたいんだか、めでたくないんだか。