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理解してもらう努力を、努力せずにできる相手
職場の人間関係がすべてだった20代中盤~後半。例えば「こういうところおかしくないですか?」と疑問を持つと、「考えすぎだよ」「そんなこと考えてないで別のことしなよ」「もう上層部で決まってるから(嘘)」「若いねぇ元気いいねぇ(嫌味)」という声を百万回聞いた。近い先輩達でも、彼らが気付いていることを私も言葉にすると、好意的に、しかし彼らが気付かなかったことに気付いたりすると、面倒そうな顔をして一蹴される。
そして、自分達に都合の悪い人、もしくは理解ができないとすぐに「変わってる」ラベルをはる。
あと、一見好意的でも、最終的には私の考えではなく、自分の考えを「正しい」ものとして、「正しい方向」に「教えよう」とする男性役員や先輩。今思うと彼らも大してその他大勢と変わらない。
自分が正しいと正当化するために、若手女性社員に「おかしい人」ラベルを付けるか、「教える」行為で気持ちよくなるかだったのだな。
退職ハラスメントをしてきた人もその一人で、「あんなに育ててやった」「会社(自分)に対しての恩はないのか」「あまりにも不義理だ」と言ってきたのでした。は?
とにかく、個人の人生に、しかも一社員の人生に介入しようとしてくる人達、自分達がそもそも社員をコントロールする権利があると思っている方々は、どうやってもお話が通じないし、理解してもらう努力など不要だと思っています。
めっっっちゃ暇で、体力が有り余っていたらやってみるかもしれないけれど、時間的にも体力的にも資源は限られているので。
友達に対してもそうで、「あ、話が通じないかも」「ちょっと嫉妬とか余計なお世話が多いかも」「共依存を求めてる空気があるかも」と思ったら、割とさらっと距離を置くようになりました。さらっと、がとても大事。「でも友達だから、、」とか前は思っていたけれど、長引くほど、我慢の時間が増えるほど、その間も自分が思っている以上に心身の影響を受けている。
少しでも「あ、このエネルギー違うな」と思ったら何気なく距離を置く。
理解してもらう努力に費やす時間もエネルギーもあったら、自分のケアをして、健やかな心身を得る努力に100%費やしたい。
というのが基本的な私のスタンスですが、幸いなことに、そういうスタンスを取り始めてから、「私にわかってもらおう」という人もものすごく減ったことにふと気付きました。自分ができない、やりたくないことを求められない人間関係は、非常に心地よいです。
自分のやりたいことを、自分の足で、焦らず、コツコツ。
そうありたいし、同じようにそうであろうとする人達には、自然と自分の現状を説明する言葉が出てくるものだなぁと思います。どこの国・文化出身とか、人種とか宗教とか年齢とか、出会ってどれくらいとか、どれくらい一緒にいたとか、言語の流暢さとかは、どうでもよくなるな、と。
自分のやりたいことを、自分の足で、焦らず、コツコツ。
人生を通しての目標なので、本日も自分に言い聞かせてまいります。