産まないけれど生理はあってよい(今のところ)
少し前に、子供を産む願望が自分にはないと自覚して、「それなら生理はきついだけだし止められないかな」と考えたことがありました。ただ、ピルは以前服用して体に合わずにやめてしまったことがあったし、アメリカの病院は何かとハードルが高いという噂もあって(まだ一度も利用したことがない)、まぁ面倒で、そこで思考は止まっていました。
今回、少しの遅れがありましたが無事生理が来まして。
いつものように生理が始まる1週間前くらいから、感情の揺れを少しずつ感じ始めるようになり、不安定でした。でも今回は、それに本当に助けられたという感覚を、もしかしたらこれまでも薄々感じていたかもしれないのですが、今回はっきりと自覚しました。
あ、私、生理だから不安定なんじゃない。元々不安定要素は私の中にあって、それが生理だから、外に出ようとしてくれているんだ、という感覚です。
体内の老廃物と一緒に、普段知らず知らずのうちに抑圧してしまっている感情が、表面化して、流れようとしてくれている。おなかが、痛いけれど、何かとても身体がほっとしているのを感じます。
この一か月は特に、結構大きなストレスを感じていて、悲しさと悔しさで心がとても疲れていました。でも忙しいから、考えないように、運動や勉強で紛らわす時間も重ねていたし、表面的にはそれでよくても、心の深いところで、影が大きくなっていくような、呼吸が難しくなっていくような感情の存在も感じていました。
それが、生理前の期間で表面化してきていたと思うし、その時は苦しかったしたくさん涙が出たけれど、感情出ろ出ろ~全部出していいんだよ~と自分を促してきたし、今はそのピークを超えた感じ。
感覚としては、筋トレに近いかも、と思った。爆
その時はきついけれど、汗かいて発散して、終わったあとは健やかな爽やかさが残る。筋肉痛のような痛みもあるけれど、越えると少し強くなっている。
生理も、感情が表面化して、きつくて、だけどしっかり向き合う機会にできれば、いや、見つめて抱きしめてあげる機会にさえ出来れば、越えると絶対に、元に戻るんじゃなくて、ちょっと強くなってる。たぶん。
と思うと、生理がなくなったらどうなるんだろう?
自分でも無意識に抑圧してしまった感情は、どう発散する機会を得るのだろう?
まぁその時はその時で、別の方法は求めればいくらでもあるだろうし、ないまま支障なく(もしくは支障に気付かずに)生きていくのかもしれないし。
産まない気持ちは変わらないけれど、今のところは、今の私のメンタルサポートのために生理はありがたい存在だな、と思うようになった心境の変化を記録してみました。そう思うと益々、なんて健気な私の体。。と愛おしくもなる。
まぁこれ以上生理痛がひどくなったら、やっぱいーらないってなるかもだけど。