虹とりんごジュースと銅鑼の音

 函館にいた時、父が単身で青森に赴任した。
父と私達(母、兄、私)は青函連絡船で行ったり来たりした。時は昭和38年、私は8歳。
 国鉄青森駅の正面玄関から船乗り場までは遠かった。階段を昇り、通路を何度も曲がりやっと着いた。その途中にぽつねんとりんごジュースの販売機があった。
 高さ150センチ幅30センチ。一番上の部分は透明で、ジュースが噴水のようにふき出しているのが見えた。黄金色だった。一度だけ買ってもらったことがある。お金を入れると小さな紙コップがポンッと出てきてジュースが入る。夢の様な仕組みだ。当時りんごはすっぱくて苦手だった。でもこの味は甘くてキラキラしていた。欲しいものを欲しいと言えない頃で、通る度に憧れた。
 連絡船はでっかくて、ドーンと待ち構えていた。甲板にかけられたタラップを渡りやっと乗船。振り返ると青森駅の岩壁が低く下に見える。見送りの人達の顔がガヤガヤ上を見ている。父もいる。赤、白、桃色、水色、黄色の紙テープがヒュルヒュルッと飛び交う。
 「元気でな-」「がんばれよ-」
 その時、白い上下の制服を着た男性が現れ、手に下げた銅鑼をドラドラドドドンと打ち鳴らす。と同時に「蛍の光」が流れ始める。美し過ぎるものは哀しい。私の心臓は泣いていた。
 出航の時。汽笛がボーと腹に響く。船は滑るように岸を離れる。さっきより大きな声が
 「元気でなー」「がんばれよー」
 ギリギリまで持っていた紙テープが手を離れ空に舞う。虹色にゆったりはためき、大きく「さよならー」と岸に手をふっている。少しずつ見送りの人は少なくなる。甲板に出ていた人も船内に戻り始める。それはまるで祭のあとのよう。
 畳敷きの一角に私達のスペースを陣取る。もうその頃には、次はりんごジュースを買ってもらえるかな、なんて考えていた。










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