傲慢が認められる現代(辻村深月「傲慢と善良」を読んで)
引き込まれて、気付けば最後のページに達している。そんな小説に出会ってしまいました。
読了中、読了後、そして数日後の感想が考えれば考えるほど変化する、そんな読書体験を叶えてくれたのは、
かがみの孤城でお馴染み、辻村深月さん著の「傲慢と善良」です。
この本は知人に紹介してもらったのですが、書店に行くとコーナーが作られていたり、大きくポップが作られていたりと、発売からは時間が経っていても多くの人に読まれている本のようでした。
さて感想を連ねる前に軽く私の属性をお話ししようと思います。私は就職活動とマチアプ活動を経験したことがある大学生女です。
そしてもう一つ、私は恋愛感情が乏しいです。乏しいというか1か100か、という感じ。なんとなく好きになるということがなく、「ピンとこない」時にはどれほど時間を過ごしても相手を恋愛対象と見ることはありません。だからと言って恋愛に関心が薄いわけでなく、恋をしている人を見るとむしろ羨ましくもあります。
そんな私は冒頭で記した通り、時間経過に伴い真逆のような感想を本書に抱くようになりました。時系列別に本書の感想をまとめていきたいと思います。
読了中
まず、この本を勧められたのは知人にマッチングアプリの愚痴に乗ってもらっていた時でした。
「どうしてもメッセージを返すことが面倒になってしまう」
「最初からタメ口だったり、ずっと会話を広げてくれない人はすぐになしだと思ってしまう」
といったことを話していたような気がします。その時に勧められたのが本書でした。
知人と会った帰り道、その足で書店に向かいました。
そして読書中に感じたこと。
「私知人に怒られてるな、これ。」
そう感じたのは恐らく全読者が惹きつけられ、自らを省みたこのシーン。
真実が上京前に地元で登録していた結婚相談所での小野里さんのセリフです。
「ご自分に例え恋愛経験が乏しくても」の部分は特にクリティカルヒットでした。
そもそも創作とは、「あんなこといいなできたらいいな」の世界なわけで、世に恋愛バイブルとして蔓延っている少女漫画やドラマの多くは現実にはないものです。しかしそのような体験が自分にも経験できるものだと感じてしまう。これが現代だと思います。
さらにありますよね。奢り奢られ論争とか、某ジュエリーブランドのアクセサリーを贈るのはいかがなものか、とか。
こんなのさまざまな価値観があっていいと思うんです。
でもSNSを通じてこの問題には模範解答に近いものができてしまっていますよね。
例えば奢り奢られ論争だったら奢らない男性はダメというのが多数派。
恐らく「奢られなくていい」という人でも、そのような男性に出会った時、多数派の意見から逸れる行動をした相手に微小でも潜在的に不信感を抱くでしょう。
小野里さんのいう通り、本体であれば気にならない他の価値観が邪魔をしてくるのが現代です。自分は創作上のプリンセスではない。そんな自覚を持って慎ましく生きていくべきなのかもしれない。そんなことを思いました。
読了後
読了中は自分の価値を高く見積り過ぎている、身の丈を知った選択をするべきなんだと。そう思っていました。
…いや、そんなことなくない?
確かに常に人を上からジャッジする姿勢はいただけないと思います。
しかし就職にしろ結婚にしろ、惰性で「仕方ない」の決断ってそんなにいいものなんでしょうか。
確かに大学生小娘の私が企業の社長さんと結婚したい、なんていうのは傲慢かもしれません。
しかしこれまで自分が積み上げてきた経験値、すなわち自信って傲慢と紙一重だと思います。この自信をベースにした足切り基準だったり価値観は大切にしていいものだと思うのです。
小野里さんのいう「ピンとこない」価値観を無視した先に本当の幸せはあるのか、読了中は自戒の念に駆られていましたが、読了後しばらくしてからはそんな反抗心が芽生えました。
最後に:こんな人におすすめ
価値観を直接殴られる。そんな体験ができる本書は、正直歩いて目にした方全員におすすめしたいです。その中でも特におすすめなのは、
ある程度成功体験を積んできた方
自分と他人を比べてしまう方
人生の大きな選択を控えている・している最中の方
恋愛に行き詰まっている方
かと思います。ぜひ、本書にて辻村さんに殴られてみてください。