有名人の政治的発言に思う「ガッカリ感」
こんにちは、あずねこ@社労士受験生です。
以前noteで「私は”政治おじさん”を何故嫌うのか」という記事を書かせていただきましたが、最近の新型コロナウイルス関連の政府の対応、また直近では終戦記念日ということもあって、多くのSNSでは政治的発言が飛び交っています。
私自身このような記事を書くほどですから、インターネットを通じた政治的発言は根っから苦手なタイプなのですが、中でも特に苦手なものがあります。それは何かというと「有名人・著名人による政治的発言」です。今回は何故私がこれを苦手とするのか、また私なりの意見を述べたい思います。
最近こんな記事を見つけました
最近、お笑いタレントのガリガリガリクソンさんによる「芸能人の政治的発言に影響力を考えて」というものを見つけました。
ガリクソンは4日、ツイッターを更新。「タレントが政治の話を発信するのは影響力があって、それによって揺動してしまう影響力がある事を自覚しないといけない」(原文ママ)と書き出し、「知るきっかけにはなるとは思うんだけど、必要以上に加熱させてしまう事があるので意識して発言して欲しい。タレント性が好きなのであって、タレント性に惚れてファンやってる訳で」と私見を述べた。
残念ながら、ガリクソンさんについて私は全く知らないのですが、記事の内容は「よくぞ言ってくれた!!」「私も同意見です!!」「いいね❤️✖︎100」の評価を付けたいくらいです。特に記事後半の、「ファンは有名人のタレント性が好きなのであって、タレント性に惚れてファンやってる訳で」という文言にはまるっと同意で、以下、私も何故こうした意見なのかを書いてみたくなりましたのでしばらくお付き合いください。
芸能人や有名人は一般人の「推し」で出来ている
まず、多くの人に「芸能人や有名人ってどんな人のことを言いますか?」と質問をしてみたとしましょう。おそらく結構な割合の人が「たくさんのファンがいる人」「社会的影響力を持つ人」と答えるのではないでしょうか。後者の社会的影響力については非常に難しい話になってしまいますので割愛しますが、要はこういうことだと思うんです。
芸能人や有名人=たくさんの人から”推しメン”とされている人たち
「推し」という言葉について初見の人に軽く解説をすると、推しとは「イチオシのメンバー」という意味から派生した言葉で、主にAKB48を始めとするアイドル文化の台頭によって生まれた言葉です。
簡単に言えばファンからの「好き!」をたくさん集めている人のことですね。
最近では推しという言葉はアイドルだけに限らず、アニメのキャラクターなどにも波及し、オタク文化では一般的な用語となりつつあります。そんな「推し」ですが、ファンがたくさんいる人たちという意味合いで使うならば、芸能人や有名人にも応用できる言葉だと私は思います。
ファンにとって「推しと同じ」は特別である
ところで、アニメキャラやアイドルなどの「推しメン」を持っている人なら分かる感覚ですが、自分と推しとの共通点って嬉しいものがありますよね。また、アニメキャラではなくとも、イチオシのミュージシャンやアーティストのファンをやっていて、自らも楽器を演奏できる人などは、好きなミュージシャンと同じモデルの楽器を持っている人を見かけたことがあるのではないでしょうか。
どうでもいい話ですが、私もアニメ「けいおん!」の主人公、平沢唯ちゃんが好きすぎて、劇中て彼女が使っているギターと同じモデルを持っていたりします。
もちろん、そこまで熱狂的なファンでなくとも、「推し」と血液型や誕生日が近いいことに喜んだり、髪型やファッションを似せるなど、推しメンと同じ行動を取ってみたい!なりきってみたい!と考える人は意外に多いものです。
推しメンが自分の思想と異なることを語り出したら…
では、話を戻しつつ、現実の芸能人・有名人たちが特定の政治思想について語り出すとどういうことが起こり得るのか考察してみたいと思います。芸能人・有名人のファンにとっては「憧れの人」「少しでも近づきたい人」がそうした主張を始めたとして、それが自分の思想と異なっていた場合を想像してみてください。
単刀直入に言って、一部のファン達にとってそれは推しとの親近感をある意味否定されたようになり、単純にガッカリしちゃう人も出てくると思うんです。
また、政治的な主張は声が荒くなりがちな点も看過できないものがあります。どうして政治ツイートに限っては言葉が過激になりがちなのか・・。という疑問はさておき、こうした政治的主張にありがちな特徴も、その芸能人・有名人を推している一部の人たちにとって、ガッカリ感を加速させる原因になり得るのではなないでしょうか?
政治的主張=悪ではないけれど
もちろんこれまで書いた内容は、芸能人や有名人は政治に一切口出しするなという意味ではありませんし、個人の思想信条は最大限尊重されるべきです。しかし彼らに考えて欲しいのは、政治的主張とSNSといったメディアの組み合わせです。
特にTwitterやインスタグラム等、ハッシュタグの機能があるSNSでは、一個人の発言が瞬く間に拡散し、逆に公共放送がSNSの流行を特集するくらいの影響力を持つことがります。だとすれば、初めから十分な影響力を持つ人が比較的話題に上がりやすい政治的主張について語った場合の影響力については計り知れないものになることもあるでしょう。
さらに、先ほども述べたように、こうしたファン層を獲得することで成り立つ職業に就く人たちは、我々一般人が「憧れのあの人と同じだ」ということに親近感を覚えたり、それが万一違った時の一喜一憂についても考えてほしいのです。
タレント性はイメージも大事である
私がこれまで述べてきた意見はともすれば、「キャラクターのイメージを壊したくないから、徹底的に顔出しはしない」という一部のアニメ声優さんの意識と近い気がします。このようなアニメ声優さんは意外と多く、私は歌手活動などで活躍する声優さんと同じく、こうした方々も好きです。
そもそも、アニメだけでなく音楽やドラマ、お笑いなど全ての芸術においてイメージは大事なものです。時としてこうしたイメージは製作者側の意図とは違い、情報を受け取った我々一般人が、造り手に対してそれぞれ違った感情を抱くことも多いもの。またそうした芸術に人は夢や希望を見ることも少なくありません。
現実のドロドロより、夢を見させてほしい
最後に、声優さんだけではなく、一般人にとって芸能人や有名人・アーティストといった人たちは、私たちに夢や希望、また新しい知見を与えてくれる素晴らしい人たちです。
だからこそ私は言いたいのです。こうした職業の人たちには、現実のドロドロした政治話は公の場ではスルーして欲しいんです。
「私たち一般人が安心して「推す」ことができるように」
「憧れの人との共通点や夢をずっと持ち続けるために」
・・こんな私の意見って変でしょうか?