お父さんの育児の。
息子6歳の歯科健診へ。今日は小児に特化してる診察日なので待合室は子連れが6組。その付き添いは全てお母さん。
息子が通うこの歯科医院、診察室に入るのは基本子どもだけ。子どもによって時期の早い遅いはあれど、保護者は待合室にて子どもを待つスタイルを提唱している。
理由は、歯科医や助手と子どもとの信頼関係を作るためプラス子どもの独り立ちを促すため。というのだが、、、つまりはアレコレ口出しする親がいない方が診察がスムーズ、ということだろう。ワハハ。妙に納得。
診察後、先生が待合室に息子を連れて出て来てくださり、口内の様子や診察室内での子どもとのやりとりを聞かせてくれる。今日はそんな先生の話に一丁前に息子が合いの手を入れたりして。
3年ほど前、初めてひとりで診察室に入るのにぐずってベソをかいたあの子とは全く違う少年がそこにいて、その成長に驚き、嬉しく、手が離れていく寂しさも感じてしまった。育ったなあ!!
たかが歯医者で?と笑うだろうか?
育児は“たかが“の中の小さな喜びでできている。
答えのない手探りの親業に不安になる日々。時々小さな喜びがあり、その積み重ねが親でいるための小さな力をくれる。“たかが“の中の小さな喜びを見失わないようにこぼさないように、親でいるための力に変える。
“たかが“予防接種にもそんな喜びがある。
予防接種を初めて打った乳児の時には注射を認識することもできず打たれるがまま、針が刺さって数秒後に違和感と痛みで泣き始めた。少し大きくなると「注射が怖い」と大声で泣き力づくで私の腕から逃げようとした。さらに大きくなると怖さと痛みを我慢して泣かなくなった。6歳になった息子はもう注射で泣いたりしないのだ。
“たかが“予防接種にも、こんな育児の驚きと喜びと寂しさがある。
さて、今日の歯医者の待合室。お父さんの姿を見ることはなかった。ご多分に漏れず我が家も“歯医者“も“予防接種“も9割が私の担当である。でも、、今日の息子の姿を見て、夫にも“歯医者“と“予防接種“のような体験をさせてあげたかったなと、ふと、そんなことを考えたりした。
1人の人間が育つその過程の小さいくせにとんでもなく大きな喜びを、お父さんにも。
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