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マイナス耐性がもう少し欲しい

わたしは基本的に箱入りお嬢ちゃんなのだということが、社会人になってからようやくわかった。

中高一貫の女子校では、毎年委員長をやりクラスに語りかけ行事をエネルギーでぶん回し、大学ではやっと希望してた言語学の勉強をして、上手くはいかなかったけど大学院まで進んだ。サークルではいろいろありつつも、最終的に周りの後輩がとてもできた後輩で、みんなを愛しながら卒業した。そして就活も自分の軸に一番合致する、教員の中でもホワイトに就職する。

ここまでのわたしの人生的には、「自分のやりたいことをやりたいようにやってきたガール」という自認だった。けど、社会で働いて「自分のやりたいことが周りの人のおかげ&運で実現できたガール」だったことがわかった。

もちろんこれまで上手くいかないこともあったんだが、概ね人生を上手く行ったことが多過ぎて、マイナスな出来事や感情への耐性が全くない。

学校に勤めるようになってからも、上手くいかないことに泣いていたとき、直接的ではないが先輩から「大事に育てられてきたんだね」と言われることが多い。いままでそんなふうに感じたこともなかったので、びっくりした。いやもちろん大事に育ててもらってるとは思っていたが、まさかこういう形で言われることになるとは思わなかった。

わたしは基本的に周りの人みんなにハッピーになってほしいし、そのためならなんでもやると思っている。中学生の頃に電車通学していたときは「電車の中でもみんな仲良く話せたらいいのにな」って本気で思っていたし、いまでも誰かが傷付く顔はぜんぜん見たくない。理不尽なことへの耐性がなく、ピュアな世界の純度が凄く高い。

でも社会は本当にそういうふうにはできていなくて、ある程度みんな(いい意味で)諦めながら進んでいる。考えの合わない人がいるし、ちょっと蔑ろに扱われる時もあるし、上手くいかないこともある。わたしは今まで上手く行った過去から、全てに反応してしまう。けど、そろそろピュアガールの純度は低くなっていけばいいなと思う。

話は変わるが、一緒に働いている先輩が、奥さんの産休で三日間だけお休みをとる。いつになるかこそわからなかったけど、予想できたお休みだった。が、彼は本当に仕事を整理しないまま、お休みを取るかもと言っていた。一緒に仕事をしていることもあり、彼の仕事の進め方がわたしの仕事の進め方に直結するし、彼の仕事のフォローをするのにもわたしが動くことが必要になる。

という事態が土曜日に起こって、とりあえず自分の仕事の整理も兼ねて土曜日に出勤。結局元主任に助けてもらったり、同期に助けてもらって、来週は乗り切れそうな感じが出てきたが、そもそもわたしは休日出勤をしない!というマイルールもあるところで、どうしてもイライラしながら過ごした。元主任にも「もうちょい引き継ぎしてほしかったです、どこまで自分がやったらいいのかもわからなかったので」と漏らしてしまうし、職員室でも多分イライラしてるのがわかったと思う。

けど結局、家帰ってから悩むのは「ここでイライラしたのは正しかったのか?」「彼の引き継ぎの仕方は普通なのかも」とか、正しさについて考えるばかり。もうすこしマイナス耐性があれば、「こういうこともあるか!」「ほんま腹立つ!」で終わる話かも、とも思う。

いまから友達と謎解き行くから、この雑書で置いときます。