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勝つということ。負けるということ。
僕は本当に恐ろしい事実に気がついてしまった😢
私は親から虐待を受けていた。
虐待を行うことができる根拠は経済的強者である親と経済的弱者である子の関係性が生むものであると私は考えていた。
夫が妻に振るうことが出来る暴力もまた、経済的強者と弱者に分かれている事がその根拠であると私は考えていた。
そして事実、そうなのである。
だから、私は高年収の仕事に就けばこの問題を自分の中で全て解決できると考えた。
一度だけ親の給与の明細を見た事がある。
年収ベースで言えば、親より数百万円給与が高いはずだ。私は、入社1年目にして親に勝ったと思った。虐待の全てを過去にして生きていけると思った。
しかし、先ほど僕は気づいてしまった。
確かに僕は今の仕事を辞めたいと悩んでいる。
でも、それと同時に虐待の過去について、いちいち思い出してはストレスを感じている
本当に勝ったのならば、僕はストレスを一切感じない状態でなければならない。
そして今は「お金持ちになれば振り切れる」等と言っている。就職前と何も変わらないという事になる。
僕が気づいたことは、遡及的に勝利をしても手遅れであるという事だ。方法はわからないが僕が勝たなくてはいけなかったのは学生時代だったのだ。戦いを後回しにした結果が今なのだ。
要するに僕は永遠に親に勝つ機会を失ってしまったのだ。
そして僕のモチベーション、つまり最初の就職の動機は親に勝つことであった。
しかし、今や永遠に勝てないということに気づいてしまった。
よく、死んだら負けだという事を聞くが、負けているから死ぬんだなと思う。
この覆せない事実と共に生きていく事ができなければ、僕もいずれ死ぬと思った。