multilingual multicultural
どうもこんばんはアツシです。やっぱりジョギングのあとは、いろいろ走りながら考えたことをまとめたりするのにいいですね。
さて、僕らの社会は多様な言語や文化を背景とするひとと共に成り立たっています。それでmultillingual multicultureじゃないとという人がいます。例えば交流プログラムを最低3か国の参加者でっていうんですよ。
まず、そういうことに関心をもってくれて考えてくれること自体歓迎するので、何もいわないけれど、僕はちょっとだけ違ったみかたをしています。
そもそも、僕たちはmultilngual multiculturalなのにっ!
てね。同じ日本語を話すといっても、方言などバリエーションがあったり、表現のストラテジーが違ったりさまざまです。文化も共有しているものと信じているようだけれど、日本文化といってどれぐらいのひとが同じものを想像するか実際にやってみるとバラバラだったりします。
だから僕はまず、Biからはじめたほうがいいと思っています。Biではじめることのメリットは、相手を自分たちと「違う」人として認識したうえで、ひとくくりにした相手たちの中にバリエーションがあることに気づくことを促せるからです。
最初からmultiにするとどうしても、相手を国籍とか属性でラベリングしがちで、個人というよりも集団で捉えがちになる。目の前のその人に注目せずにイメージで分類したくなる。それは本来、multilingual multiculturalだ!といっていたひとたちの目指すところとも違う結果を導いてしまうと危惧するのです。
でもね。そういう人たちの勢いも大切にしながら、課題も伝えてプロジェクトを実施したい。なかなかたいへんでけどね。
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