長続きしないnote

 長続きしたものが一つとてあったかしら。
 細々と、途切れ途切れに続いているものもあれば、本当になんともいえずに続いていないものの方が多い。
 とてつもなくメンタルの落ち込んでいる今日はそれらを振り返ってみたいと思います。
 

・習い事の項目


 習い事をたくさん、させてもらった。いい親ですので、少しでも興味を示すと体験させてくれた。
 幼稚園の頃から、英会話のお教室と、近所のバレエ教室に通わせてもらっていた。バレエ教室は、ほぼご近所の同学年で構成されていて、発表会等もない、きちんとしたスクールなどではなかった。ちゃおの感想を言い合い、タイルシールやぷっくりシール、付録の貴重なシールの交換会でしかなかった。
 和太鼓のお教室に会場を取られるようになり、同時期に英語のお教室のツテで、きちんとしたスクールに、車で片道三十分ほどかけて通わせてもらえるようになった。幼稚園年長さんから小学校四年生まで続いた。右足に二個目のくるぶしみたいな肉腫ができたので辞めざるを得なかった。チャイコフスキーが好きなのは最後の発表会でアラビアの踊りと花のワルツで花の女王役をやらせてもらえたからだ。とてもじゃないが、明らかに腹の出ているぽっちゃりさんの私にアラビアの踊りのセパレートの衣装はしんどいものだった。
 小学校、何故か四年生から部活動に入ることを許可される方式だった。大体、みんな、何かの部活に入る。田舎なので、そういうところでコミュニティを形成しておかないと、中学校に上がってから困ることになる。無難だし、運動は人前でするもんじゃないと思っていたので、吹奏楽部(器楽部と呼ばれていた理由を入ってから知ることになる)に入った。トロンボーンをやらせてもらえた。これは実にLUCKYで、四年生から楽器を持たせてもらえるのは、エリートの証拠だった。
 市の大会があることを知ったのは、夏休みに入る直前だった。音楽の先生がそのまま顧問の先生でもあって、彼は音大のいいとこの出だった。そして何より、80年代の虜だった。
「Don’t stop me nowだ。知っているか」
 皆、首を捻った。私が「ビールのCM。QUEENの名曲である」と模範解答をしたことで場の空気は非常に救われた。ここで初めて、うちの学校の吹奏楽は単なる吹奏楽などではなく、マーチングバンドとしての存在を世に知らしめていると教えられる。運動会の入退場、国家斉唱、校歌斉唱、よく見ていなかったし運動会がなんとかなんともなしに終わることしか考えていなかったので気付いていなかったが、旗掲げて歩いていた。
「東屋さん、部長の隣です」
 四年生、入部したて、楽器覚えたて。無茶を言うね。
「きみはQUEENを知っている。見込みがある。最近は何を聴きましたか」
「ルパン三世のテーマ’89です」
「素晴らしい」
 こうして私は、バレエのお教室で立って以来の市立会館大ホールのセンターで「Have a good time, good time」のパートを吹くことになった。高くて出せないと思ったが、本番に強いタイプで良かったと、心底思った。
 次年度、去年は旗しかやらせてもらえなかった子たちも適当な楽器に振り当てられ、先生は当時亡くなったばかりのマイケル・ジャクソンのCDを持ってきて、「Beat it」をかけた。今年はこれらしい。楽器を吹きながらムーンウォークの練習をしたのはこの年が最初で最後だ。
 この年、昨年始めたばかりのピアノのお教室を辞めた。一年で辞めた。早々にドラムセットが苦手であることを知っていた自分は、エレクトーンも当然ド苦手だった。右手、左手、足、どれかに集中してしまってどっか必ず忘れる。せめて足はなくしてくれないか。普通のピアノでもペダルがド下手くそなんだ。こうしてピアノは、ジムノペディを触りだけ弾けるようになって、終わった。代わりに始めたのが、隣の市にあったこどもオーケストラという団体だった。ここは実に思い出深い。実に楽しかった。なんだかんだでいちばん楽しかった。
 何が楽しいか。トロンボーンは枠が埋まっていたのでできなかった。が、タッパがまだあったので、まったく新しい楽器を提案された。コントラバスである。たまに、ヴァイオリンのオバケと呼ばれる。その呼び方、嫌いじゃない。むしろかわいくて好き。そう、ヴァイオリンのオバケだ。私はろくに伸びない指を頑張って伸ばして、なんとか手首を水平に保って、初めて触れる弦楽器に夢中になった。あり得ないくらい低い音が出るのが妙に楽しかった。学校でスライド用のオイルを流し込み、土曜日は弓に松ヤニを塗る生活が始まった。
 六年生になると、部活は自然と行かなくなる。なんでか知らん。田舎だし中学受験する子なんて皆無なのに、なんでかみんな、行かなくなる。おかげで毎日のように家でも弓に松ヤニを塗った。近所じゅうにあの低音が響いてしまうのだが、まあ、いいかと思い、思いっきり弾いてやった。どうせまだ夕方だぜ。夜じゃねえんだ。夜になったらやめてやるから。なんならみんなスウィングしていきゃいいんだ。まあ課題曲はクラシックだけど。
 中学でも続けた。部活に入らないと内申点が、というよくあるシステム上、自動的に文化部を当たる。スパルタで土日も練習がある吹奏楽部と、部室にたむろして落書きしているだけの美術部など、後者しか選ぶ余地はない。さようならトロンボーン。私はおまえを抱いているより、ヴァイオリンのオバケを口説いている方が興奮した。
 英語の先生がとても良い先生で、担任をしてくれた年、それは私の弦楽最終年だった中学二年生の年だが、発表会にわざわざ足を運んでくださった。来年は受験ともなると、こうしてコントラバスを抱きしめることもかなわなくなる。実際、平日に彼女を抱きしめることは減った。名前こそつけなかったが自認の中では彼女だった。彼女を抱く最後の年、こどもオーケストラの練習の次枠で会場を借りている大人のアマチュアオーケストラの団員にまぎれてそっちでも演奏をした。白鳥の湖だった。チャイコフスキーと切れない縁でもあるのかもしれない。そっちもこどもオーケストラの発表会の次枠だったから、先生は立て続けに私の演奏姿を見ることになったわけだ。長かったろうに、先生はきっちり最後まで見て、「学外でこんなに立派な活動をしてらして、素敵ね」と仰って、帰って行った。お元気にされているだろうか。
 辞めるのが惜しかったのは、後にも先にもコントラバスくらいのものかもしれない。未だに題名のない音楽会を見ても、N響を見ても、オケコンに行っても、ジャズバンドを見ても、コントラバスを目で追う。回してるひとを見て、フフッと片方口角を上げる。私もそれやった。バス椅子を見かけてニィッと笑う。バーとかのたっけ~椅子、全部あれになってくれねーかな。足かけられて、しかもちょうどよく足ついて、いいんだこれが。
 

・社会生活の項目


 何故急にこんなnoteをしたためたかというと、今月三度目のサボり欠勤をかましたからである。朝、きちんと起きたのに、どうにも仕事に行きたくなくて、家を出る時間に「昨日に引き続き体調おしまいなので休みます」と連絡を入れた。昨日? そう、日曜日である。サービス業なので仕方がない。シフトというやつだ。これを、辞めたいのだ。
 学生の頃ならともかく、そのノリのまま、社会人になってもシフト制の仕事ばかり転々としてきてしまった。それもこの会社なら長年続いているし、社員の扱いも悪くないし、自分でも長続きするだろうと、最後の転職だと、そう思って一年が過ぎた。こんなことになっているとは、一年前の自分に、果たして予測が
 
 たぶんついてた
 
 最初の会社は、「転勤? いやあ、まあ、要綱には有りって書いてあるけど、そんなにないよ! あっても近距離圏内だし、そう負担にはならないよ!」と言って、埼玉から兵庫への転勤を二週間以内に済ませろと命じてきた。おかげで私は兵庫のあのクソ狭い、認知症の婆さんが毎日施設から抜け出してきては敷地内の無機物に延々と話しかける事故物件に住む羽目になったのだ。それはそれでウケを取れる経験なので別にいい。
 二社目はほぼ覚えていないが、真夏の炎天下に、それもバリバリのコロナ禍に外回り営業をさせるようなところだったのは覚えている。一気に20代の体調を失った。
 三社目がまあヤバかった。契約書、書かないからね。そんなんだから、正社員(そもそも会社?本当にあれは会社だったのか?真相は不明だ)なのに社保に加入させてもらえなかったし、健康診断も当然ないし、給与明細も出ないし、給料だけは振り込んでくるけどそれも給料日の三日後のことだし。一年耐えた理由がいまでもわからない。キャリアにならんてそんなもん。
 で、現在である。ここへきて、「あれ? もしかして、シフト業って、もう体力的にキツくないですか?」という気付きを得たのであった。もう少し早く気付きたかったかな? ね。もう少しさ、早く気付けてればさ、いま、もうちょっと、マシじゃない? そうは、思わない? 現状を変えようとする気力はあるからまだ大丈夫。やられきってはいない。真面目な話はおどけながらするもんではない。一旦、やめにしよう。
 

・ソシャゲの項目


 まあ、やってきた。一応肩書はオタクなので、ソシャゲをやる。やってきていちばん長いのがFGOである。
 忘れもしませぬ、あれはZeroイベ初年度のことです。いまはめっきりやり取りがなくなってしまった当時の友人が、「おまえの大好きなクーフーリンがオルタになったぞ」と教えてきた。そんな馬鹿な……あんな高潔にして幸運マイナスの男がオルタなんぞになっちまったら、夢女子じゃないアテクシでさえ変な悲鳴を上げて倒れますことよ。どれどれ、インストールいたしますわよ。
 
 オ ペ ラ 座 の 怪 人 ! ? き み が ! ?
 
 こうして私はクリスティーヌとしての自我を発芽させた。もはや退けないとはこのことである。彼は強い。キモい虫、デケェドラゴンをものともせず、なんかダルそうにそいつらをバラバラにしてくれた。いまでもなんかダルそうにバラバラにしてくれる。仮面に隠れたその顔は誰。
 あの頃のことはまだ全然、なぜか全然、思い出せる。そんなに執着していたわけではないのだが、どちらかというとその頃入手したディズニーシーの年間パスポートの方が執着の対象だったが、そういえばバレンタインのインディージョーンズのQラインでXオルタを引いたし、BBBの入場前に凍えながらエレナママを引いた。遠巻きに眺めていたファンタズミックで、エリちゃんを引いたこともぼんやり覚えている。
 懐古厨なのでカルデア式テーブルイズウェイティングをやってほしいし、九月半ばくらいからハロウィンを始めてほしいし、クリスマスキュイジーヌもやってほしいし、春になったらファッショナブル・イースターを開催したい。夏は海賊の出番だし、あとアトモスはキッチンビートが本当に好きだった。
 そうやって舞浜に入り浸っていたら、ハロウィンの幻覚が本物のソシャゲになった。皆さんご存知そう! ツイステである。いまはもうログインさえしていない。いや、ちょっとした。今年はジャック、きみの誕生日だけなんとか引いて、またログインすらしていない。この間久々にログインしたとき、ホームにはきみじゃなくて、マスクをつけたツノ太郎がいた。つまり僕は、去年のハロウィンからログインしていなかったらしい。なんか知らない機能がたくさん増えてるし、僕はもう学園には戻れないのかもしれない。
 一瞬、文アルにも出戻りした。また続かなかった。菊地、すまない。指輪、いつ買ったのか知らないけど、あれ錆びないしさあ、華奢なデザインで使いやすいよ。
 友人たちに触発されて、刀剣も見定めたりした。まっっったく続かなかった。何故なのかちっともわからない。刀だけに、刺さる子がいなかったのだろう。上手くないぞ。
 そういえば女の子をメインに育成するものには一切食指が伸びてないな。ウマとか、アイドルとか、船とか。大陸ゲーの成長度合いがすごいとも聞いているが、妙に触れる気がない。アイドルで思い出したけど、メンズでもアイドルは育成したことがない。アイドルに興味がないのか。そっか。なるほどね。ドルパロとか書かないのも、そういうことね。
 サ終したゲームも結局は長続きしていなかったから、終了する頃には「ほーん、終わってしまったかね」と見送った。ジョジョピタに夢中になった冬もあった。ワンピースボンボンで夜更かしたこともあった。あとはなんかあったっけ。思い出せないや。
 

・結論の項目


 冷たい女である。長続きもしなければ、終わった途端に忘れていっている。冷めた女である。
 でもこれいま思ったけど割と最近のことばっかだよね。続かなくなってるの。そういえば、ネトフリとかアマプラも全然見なくなっちゃったし、D+も全然見てないよね。月額料金が無駄だよね。その分親が見てるからいいけど。
 これってさ、最近ってことはさ、最近の仕事によって、日常生活に支障が出ているってことじゃないですか? え? ねえ。違うかな。せっかくの休日も疲れ切ってるから寝て過ごしちゃうし、すぐそこにスマホあってすぐに見始められるのに、なんか気乗りしなくて、見れないよね。逐一の行動に、かなり気力を要するよね。やけに耳鳴りもするし、食欲失せてきて自然と2kg落ちたよね。これはいっか。体重は落とさなきゃってとこだったし。
 これってさ、違いますか? なんかもう、わからないけど、これってさ、つまり、そういうことなんじゃないの。
 
 転職します!

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