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経験、理解、共感の関係
友達とLINEしてハッとすることがある。
例えば友達の悩み事を聞いた時に、「それは私の時は〇〇でね」とか「私は▲▲したことならあるけど、こんなのはどう?」とか、なんなら「私の母がその病気になった時はこうだったよ」とか、実際に経験したことの中からアドバイスみたいなことをしてしまいがち。
送ったLINEのメッセージを見てハッとする。
友達が私にアドバイスして欲しくて話しているわけではないだろうなということを。
なぜ私がハッとするのかは状況によりけりだが、おそらく後続する友人の反応などから察するのだろう。
またやってしまった…と、私は小さく反省をする。(この癖がなかなか直らないので、あえて小さくと記載しておく。)
頼まれていないお節介、世話焼き、中には上から目線に感じる人もいるだろう。もし嫌な思いをしたことのある友人や知人がいたら、切に謝りたい気持ちだ。
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私は過去に、ある大切な人との辛く悲しい別れを経験した。
その出来事からちょうど今月で8年。その直後の気持ちと、今の気持ちとでは変化をしているが、乗り越えたかと言われるとそうとは言えないし、この気持ちを誰かと正確に共有できるとも、当時も今も思えない。
だけど、友人たちは何度も繰り返し励ましてくれたし、一緒に涙してくれた。そのことに私は何度でも救われ、心から感謝してきた。
友人が寄り添ってくれたシーンを思い起こし、改めて気がつく。
「理解」を求めていたんじゃない、「共感」がほしいのだ、と。
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改めてこのことを反芻すると、これまでの言動を思い出しては襟を正したくなる。
自分の経験なんてちっぽけなものなのに、何を無理に有識者みたいな発言をしてしまうのか。
同じ経験なんて、この世のどこにもない。
知らないことを知らないと、はっきり言える人間にならないと。
齢四十にして、今更ながら思う。
これから出産という新しい経験をさせてもらう。
親になり、数えきれない初めてを経験していくであろうこの先、どんな私になっていくか、未知であるし、楽しみでもある。
人生100年時代、まだまだ成長していきたい。