「良い意味で『人をたらして』いきたい」AZism人 Vol.10
AZismで働く人を紹介する『AZism人(じん)』。
ひさびさとなる10回目は第1事業部からこの店長さん!
――では、お名前をお願いします
名前を吉原治雄と申します。府中大和家の店長をさせていただいてます。
――ご年齢は?
4月11日で44歳になりました。
――AZismに入社したのはいつぐらいでしょう?
約9年ほど前ですね。
――もうすぐ10年になるということで、第1事業部に所属する社員の中ではかなりベテランなのでは?
長くなってしまいましたね(笑)
――ちなみにAZismに入る前ってどんなお仕事をされていたんですか?
元々は出身が沖縄県なので、33年間ずっと沖縄に住んでいました。結婚して子供が生まれたのがきっかけで、嫁さんの実家がある八王子に引っ越しをしたという流れです。
それまでは沖縄で高校を卒業して19歳からずっとバスガイドの仕事を15年近くやっていました。だから接客業をずっとやっている感じですね。
――なぜバスガイドになろうと思ったんでしょう?
学生の時にアルバイトをしていました。
沖縄はリゾートホテルとかのアルバイトがけっこう多いんですけど、その時に接客が自分には向いているのではないかなって思っていたんです。
いざ高校卒業する時に就職活動をしていて、その中でどんな仕事があるんだろうなって探している中で就職担当の先生が私の陸上部の時の顧問だったんですけど、私の性格を知っていたので、こういう仕事があるんだけどどう?って教えてくれたのがきっかけでした。
――なるほど。それまではバスガイドという仕事に就こうと思っていたわけではなかった?
全く思ってなかったですね。
対面の仕事をしたり、マリンスポーツなり、ツアーコンダクターさんなり、本当に人と接するような仕事をしたいなっていうことで色々探していたんですけど、たまたま就職担当の先生の昔の恩師が新しく立ち上げたバス会社さんで新しいことをしようということで、男性のバスガイドというジャンルにチャレンジしようと。
――確かに男性のバスガイドって珍しいですよね?
沖縄県では初めてだったみたいです。バス会社さんが男のバスガイドさんを雇ってます、ってちゃんとやったのが初めてだったらしく。
――めちゃめちゃ先駆者だったのでは?
そうですね。だからいっぱい取材も受けましたね。
――先日、府中大和家に取材が入りましたが、その時はもう慣れたものという感じで?(笑)
取材してくれた方にも言われました。吉原さんカメラ慣れしてますよね?とか、言われて。「あっ、以前の仕事がバスガイドで…」みたいな(笑)
――バスガイドの15年という経験がものすごく接客に活きている?
もうすごく活きてます。
――バスガイドの仕事はどうでしたか?
超~楽しかったです。
バスガイドの仕事は自分が沖縄のこと大好きで、自分の大好きな沖縄のことをお話しして、喜んでもらえる。三線を練習して弾きながら歌ったら涙を流してくれる人もいたりして。日本全国いろいろところから人がきて、いろんなことを教えてくれたり、もう本当にためになることばかりでした。
AZismにお世話になったときに入社して3、4カ月ぐらいで社員旅行に連れて行ってもらったんですけど、そのときにバスの中でバスガイドやってみたりとか(笑)。
その後も社内イベントで司会者には何回かさせていただいたんですけどやっぱりバスガイドで話をしていた経験は活きましたね。
結婚式の100人クラスの結婚式の披露宴4回ぐらいやってたりとかしたので、そういうたくさんの方の前でお話をするっていうときの度胸もバスガイドの経験があったからですし。すごい良い経験…役に立ったことしかないんじゃないかぐらいの経験でしたね。
――天職だった、と言える職業だったんですかね
よく言われていましたね。あなたの天職だねって言われてました。自分でも好きだなと思っていたので。
――そんな沖縄での充実したバスガイド生活を経て、結婚されて東京に出てこられました。東京でまたバスガイドの職を探そう、とはならなかったんしょうか?
それは思ったんですけれども、でもやはり何ですかね、思い入れの仕方? 沖縄は自分が好きであるからこそ伝えられるところがあるじゃないですか。やはり地元に愛があるかないか来たばかりで、東京は人が多いな~怖いな~って思ってましたし(笑)
あと沖縄だと巡る範囲が狭いんですけれども、東京でバスガイドだとバスの走行距離自体も距離も遠かったりしたのと、子供が小さかったタイミングだったので。遠くまで行って何泊かするとかは当時の自分の生活リズム的に合わないかなというのもあって、ちょっとそこは選べなかったですね。
――となると、バスガイドとは別の仕事を?
一回はクルーズ船の仕事をやってました。
例えば企業さんから会社のお疲れ様会で打ち上げをするよという依頼があって、その人数と金額に合わせたクルーズの予約をして、料理のプランを考えたりしたら、その料理とか一番自分だちで手配して飲み物とか食べ物をクルーズ船の中に運んで、という仕事ですね。段取りから当日の接客までやってました。一番やっぱり接客の方が楽しかったですね。
――そのお仕事を挟んで、今度は飲食に行こうというところのきっかけを教えてもらえますか
きっかけは、新橋まで八王子から通っていたんですけど、ちょっと遠いなと。現実的に厳しいし、出勤したらほぼ毎日終電終電で乗れないこともあったぐらい結構過密だったので…。
家族からちょっと小さい子を抱えて共働きで仕事しているので、それをやられるとちょっと私の負担がきついという相談があって。なのでなるべくちょっと近場で、接客できる仕事とかないかなと。
前の職場にいる時に一緒にやってたメンバーと色々話してたとき、「吉原さん、飲食は人と接する仕事だし、それも接客の1つだから考えてみたらいいんじゃない? 向いてるんじゃない?」って言われたことがあったんですよ。
確かに、飲食店も接客だなと。確かにと思っていろいろ調べていたら、たまたま松木大和家(現 ラーメン松木田田)の求人があったんですよ。私は沖縄から東京に来て実家で住んでいたんですけど、ワンちゃんの散歩をしている時、大和家を見かけて。
500円でラーメンが食べれる?(※毎月1日は大和家の日で並ラーメン500円)と思って。とてもそれがきっかけでちょこちょこ行ってたんですよね。で、求人募集を色々調べた時、たまたま初めて求人媒体で大和家が社員募集かけたタイミングだったみたいで。それを見つけて「お、大和家があるやん」って。
――そこで応募して採用になったんですね。最初はどの店舗に配属になりましたか?
淵野辺大和家ですね。
――未経験、初めての飲食業界はどうでしたか?
ドキドキでしたね。
――接客は大丈夫だったと思うんですけど
接客は大丈夫でしたね。初日からびっくりされました。
やっぱり「いらっしゃいませ!」って大きい声を出したり、お迎えするお客様に話しかけるのは慣れてないと勇気がいるんですよね。なのですぐ言われました。「吉原さん、何か接客業されてました?」「はい。それしかやってなかったです」って(笑)
だからそこには自信持ってたんですけど、いざ厨房に入って包丁を扱ったり、仕込みででチャーシューを煮たりとか、もうほんとにドキドキでしたね。
――調理は本格的にやってたわけでもなかったんですね。
そうなんですよね。難易度高いわけじゃないですけど、未経験だった時にはちょっと大変だったです。自分の中でもハードルすごい高かったです。でも、本当に薬味一つ切れるのもめちゃくちゃ時間が掛かりましたし。本当にネギは敵だと思ってました(笑)
――慣れていなかった調理ですが、どんな感じで慣れてきたんですかね?
やはり楽しくなってきましたよね。
例えばチャーシュー煮るにしても、チャーシューに入れてこのタイミングで引き上げられなかったからちょっと軟らかくなっちゃったとか失敗したこともあったんですけど、めちゃくちゃうまくいった時は、今日のチャーシュー良いな~みたいな。そんな経験を積んだからですかね。
ラーメンあげるのも最初はお客さんがめちゃくちゃ入ってくるのが怖かったんですけど、やっぱ調理に慣れて視野が広がってくると食べた時にお客さんがおいしそうな顔をしている時にあ、良かった、って。だんだん楽しみを自分で見つけられるようになってからコロっと変わりましたね。
――接客の方に繋がる調理っていうことが、自分の中で腑に落ちて楽しさがわかってお客さんが笑顔になってくれると。そこがパラダイムシフトというか転換期だったんですかね?
そうですね。本当に入って半年までは怖かったです。お客さんがブワーッって来ることも怖かったです。仕込みをやりながら麺は入れてなんだかんだしながら、みたいなことはぜんぜんやってこなかったので慣れてなさすぎて。
――そこで慣れてきて楽しさが見つけられてからは、お仕事的には楽しくなったと。
そうですね、楽しいがもうほとんどじゃないですかね。
――経験を積んで仕事が楽しくなったあたりのタイミングで店長になった感じですか?
淵野辺大和家のあとは松木大和家(現 ラーメン松木田田)に行ってから淵野辺にまた戻る形で、淵野辺で店長やらせてもらいました。
――府中大和家で店長としてやってきたのはどのくらいでしょう?
府中に来たのは3年ぐらい前ですかね。
――府中に来てさらに店長として経験を積んできた吉原さんですが、コロナ禍のときはメンタル的にどうでしたか?
お客さんの数が少なくて時短営業を経験しましたが、接客時の表情的もやっぱりマスクは慣れなかったですね。従業員の子たちも、目元だけで感情を表現するって慣れてなくって。
目尻を下げるとか目をキュッと開くとか、いつも通りに接客できないからいつも以上にお客さんの目を見に行くとか。その技術を教えてあげても慣れてないので、慣れていないとやっぱりいきなりはできない。比較的自分は早くそれに気づけたのかなと思いますけど、今振り返ると不十分な接客だなってちょっと心に思ってましたね。
――口元が見えない、イコールお互いのコミュニケーション、接客に関してのすごい武器を封じられてしまっていたと
そんな感じがしますね。
――マスクについては先日、着用について緩和されましたよね
まだうちとしてはマスクをする形を取らせて頂いているのですが、アルバイトの子とかマスクを取って笑顔で接客したらもっと良いのにとか、男の子も女の子もそうなんですけど、いい笑顔してるのになぁ、とか思います。
――これからまた普通の状態が戻ってくれば、吉原さん的には武器が戻ってきた感じですね
はい。プラスに働くんじゃないかと思っています。
――バスガイドから飲食業界に飛び込んで、ある程度どちらも経験を長く積んできたと思います。好きな接客を今後も続けていきたいとかありますか?
そうですね。お客さんを惚れさせる接客を目指していきたいですね。色々な要素が含まれるんですけど、お客さんの小さいことに気付いてあげるとか、2回目、3回目ご来店されたお客さんにはすぐ毎度!って言えたりとか。
そういう細かいいろいろな積み重ねが多分、お客さんがお店に惚れてくれると思うんで。もちろん美味しいラーメンを提供するのがまず第1なんですけど、そういうことはしていきたいなとは思います。
――吉原さんって見た印象、あまりモチベーションが上下しないというか常に一定なイメージがあるんですけど、どうでしょう?
仕事に対するモチベーションはあんまり下がったことないですね。
――それは接客、お客さんと接するのが好き性質が好きっていうところがあるからなんでしょうか? 第1事業部もコロナ禍や体制変更があったりして大変な状況だったりしましたが
私は人が好きなんで…。
別の店長に以前、言われたことがあるんですけど、「あのさ、吉原さんって、ホント人たらしだよね」って。女ったらしとかじゃなくて、もう本当に『人』をたらすといういい意味で。
その時に人たらしって初めて言われたんですけどそれを言われて考えた時、人たらしってようは自分が人を好きだからグイグイ行くと。
でも元々すごい恥ずかしがり屋だし臆病なんですよ。人に嫌われるのってすごい嫌なタイプで、わりと恥ずかしがり屋さんで行けなかったりするんですけど、その自分が嫌だったんですよ。
なので、なるべく接する人たちにはまず自分から心を開けてっていう感じのことを繰り返していたら、それがどんどん自分の中で自覚してきました。
――今後も人を笑顔にさせる、惚れさせる接客をしていきたいし、自分がしたいこと、というのは変わらずに突っ走っていける?
そうですね。
でも突っ走るにもやっぱりみんなの力がないと走れないんで、そこがうまくいっていないところもあるので勉強中ですね。
一緒に働ける仲間たちに会えるのも嬉しいし、働いているのは自分一人だけじゃない。みんな頑張ってくれているので。それでお客さんが喜んで先月とかみたいにお客さん来てくれたりとか。みんなマジで頑張ったね、本当に頑張ったね、頑張ってやってくれたねって…本当にそれに尽きますかね。
――今後の野望を教えてください
より多くの人をたらしていきたいです!(笑)
――本日はありがとうございました!