AZism人特別編『手塚章文はどのようにアルバイトから取締役になったのか?』Vol.3
Vol.1からVol.2公開まで1年2ヶ月。次も1年ぐらい空くかなと思っていたらまさかの5ヶ月でVol.3公開となりました。
アルバイトで入社した手塚専務が取締役になるまでの道のりを語っていただくこのシリーズ、Vol.3の今回で最終回! 複数商材、複数部署を見る形になってからのお話となります。
前回、前々回の記事を読んでない方は読んでから見てみてください!
【会社を辞めようと思ってからが真の入社】
――複数商材、複数部署を見る形になってからのお話を聞かせてください
今だからできる話しですけど、店長時代、外部からスカウトがちらほら来てたんですよ。今の年収の倍出すから来ない?みたいな。
その時、受ける気なかったです。その頃やっていた仕事はやりがいはすごくありましたが、とてつもない量で。年収が倍ってことは仕事も倍になるんじゃないかって考えて(笑)。
なによりやりがいとかより年収先に言う人って働くうえではちょっと魅力的ではないと思いました。
ただ、当時の上司とうまくいってなかったですし、好かれてもいなかったので評価自体は下がっていく一方でした。それで評価低いな、必要とされてないなって思うような出来事が何回かあったこともあって、社外からの評価を考えて他の会社行ってもまぁ食っていけるだろうと。
その時、和田代表と食事をする機会があってそこで「辞めようと思います」って話をしました。
――そのとき和田代表は何と?
自分の前に社員が3人辞めていたんですよね、昔からいた人が。で、おそらくですけど自分も辞めるって言い出すんじゃないかって代表も感じていたみたいです。
その時、代表は部署を直接統括はしていなかったので、退職者が出るのも当時の統括者の判断なんだろうと思っていたそうです。ただ、それで部署が成長しているかっていうと、そういうわけでもなかったと。
――和田代表も歯がゆい思いをしていたんですね
なので次気になっている従業員がもしも辞めると言い出したら今まで言いたかった話をしよう、動こうって思っててくれたみたいで。
それで自分が食事の席で辞めますって話をしたら、代表が『もうちょっとだけ待ってくれないか、環境変えるから』って言ってくれてめっちゃ泣いてくれました。それみて僕も泣くんですけどね(笑)
結局、もう一度頑張ります、って言って代表と握手をしてお別れしました。
――辞めるのを考え直したと
はい。今思うと、会社を辞めようと思ったあの時が僕の本当の入社だったんじゃないかなって。
雇用契約書を結んだら入社というのは形式的な話で、仕事頑張って頑張って、それでも辞めようと思ってそこから生き残った瞬間が真の入社だと思います。
辞めようと考えるのって辛いときや初心を忘れたときなんですよ。僕も最初はゲームショップ頑張ろう、マンガ喫茶頑張ろう、会社に尽くそうって思ってたはずなのに、いつのまにかそれを忘れてしまってたなって。
本当に自分の人生を会社を含めて考えるときって人生のルートに会社や仕事が乗っているかどうかを考えるんです。で、そこからはみ出てるなって思うから辞めるんですよね。
自分もそう思って辞めるつもりでしたけど、和田代表に止めてもらう形になりましたね。本当に感謝しています。
――そこで心機一転になりましたか?
心機一転でしたね。驚いたのはその後に当時の上司が異動になったことです。
そこから店長ちょっと続けて課長とか部長とか複数商材やったりとかやって人事広報部という部署も移動になりました。直接利益にかかわる場所じゃない部署で働けたのもいい刺激になりました。
【会社の重みを初めて味わった住民説明会】
――サバイバルゲーム事業を人事広報部部長時代に手掛けたそうですね
そうですね。その時期は事業が傾いていたので、新しい何かを始めないと行けない時期でした。
事業を始めるにあたり地域住民の方に説明会をしたんです。和田代表、山口常務、僕、長谷川くん(※第3事業部→企画戦略室所属。サバゲー事業で中核になった人物の1人)で説明会にいって。
大きな規模の開発ですから、それを手順よくやっていくのに住民への説明という要項を満たしてほしいと市役所の人に言われて、住民説明会をやることになりました。
事業を進めてる時って身の回りの人は応援してくれるんです。この地域に若者が来たら嬉しいよーって言ってくれる地主の方とか、お昼のお弁当うちにやらせてよって言う飲食店の人とか。僕と長谷川くんは地域住民の方に応援されてるなーって思ってました。
ですので、住民説明会なんて気軽に開催して、形だけでもやっておけば市役所もOKって言ってくれるからやろっか。くらいの軽い気持ちでした。てゆーか住民来るのかな?みたいな心配してました。
で、いざ開催したら30人くらい人が来たんですけど
びっくりしちゃうほどの大反対にあっちゃったんです。反対一色で。第1回目の説明会はもう寝耳に水という状態でした。みんなものすごいショックを受けてました。
当時サバゲー事業担当だった長谷川くんも顔面蒼白でしたね。
僕は代表が住民の方に怒られてるところを目の当たりにしていて、実際けっこうメチャクチャな論理のことも言われたんです。とにかくいちゃもんつけたいだけの人もいましたし。私の出勤が5分遅れたらどうやって責任取るんですか?みたいな。でもずっと代表はごめんなさい、っていう姿勢だったんです。それで次回、ちゃんと資料作ってきて改めて説明するのでって感じでいったんその日は解散になりました。
帰りの車で僕も含め代表以外の人はさすがにあそこまで無茶なこと言われることはないよね、って怒ってたりしたんですが、代表は「住民の人にあんな嫌な思いさせちゃったんだ」ってスタンスだったんです。
代表のスタンスがすごい住民に理解を示していてちょっと不思議でした。ムカついたりしなかったのかな、と。
第2回目は僕が住民説明会の担当でした。
2回目の住民説明会では代表は不参加、僕が中心になって質疑応答しました。住民説明会のプロいわくって代表取締役って来ちゃだめなんですって。最高責任者が居ちゃうと、即答できない質問が来たときに持って帰ることができなくなるので。
怒られまくるとわかりきっている会が2週間後にあると思うと、毎日ほんとうに嫌な気持ちになりましたね。同時に部署の通常のトラブルも重たいのが何件か来てて、一番つらかった時期だと思います(笑)
住民説明会をいざ中心でやってみて、これが僕の価値観を大きく変えてくれるきっかけになりました。
質疑応答の最中って本当に脳裏にAZismが手掛けているお店の看板とスタッフの顔がよぎるんです。住民の方に理不尽な言い方をされたとき口から出かかったような言葉も、喉元までは来ても口からは寸前で出なくなるんですよ。
この説明会の音声は今も残っていてそれを聞くと未だに手汗びっしょりになります。その時は1回目の和田代表をモデルにして自分なりに誠実に答えて説明会を終えることができました。
帰りの車でみんながさすがにあれは厳しすぎる物言いじゃない?って言ってくれたんですけど、当然僕を思ってのセリフということもわかったんですが、それを僕に言ってくれる人達を見て、第1回のときの自分を見ているようでした。第2回をやった僕はちょっと違う気持ちになってたんです。
1回目の代表の気持ちがなんとなくわかった気がしました。従業員を数多く抱えている会社の代表としての責任ってこんなに重いんだって。責任者じゃないときは感じれなかったのですが、言い返したいセリフがでなくて、そんな思いをさせた住民の方々に申し訳ない気持ちにもなってました。
あれが初めて代表が普段背負っている『会社の重さ』をちょっとだけ感じた瞬間だったと思います。当時は最悪でしたが、今となっては本当にやってよかったです。
その経験を経てから代表に『社長目指して頑張ります』ってはっきり言い始めるようになりました。それが結果的に役員になることに繋がったと思います。本当に大きな経験でしたし、転換点でしたね。そこからは役職が上がるたび社長になろうと思います。と都度宣言して頑張りました。
【意思表示をすることが大事】
――その転換点を経てどう心境は変化しましたか?
僕はそこで社長になりたいって言い始めましたけど、やっぱり意思表示するのって大事だなと思います。
例えば店舗に社員として配属されて『店長になりたいです!』って言った人には『じゃあまずシフトの作り方から教えるね』とかなるじゃないですか。この人は将来こうなりたいんだ、って伝わるので。仮にすぐに店長になれなかったとしても、シフト作成できたり店長業務の一部ができる一般社員ってすでに他の人より良いじゃないですか。
僕も意思表示してから代表から直接会社の将来の話や、銀行との関係の話、代表の歴史、考え方を聞けたりする機会が確実に増えました。自分に返ってくる情報の質は「こうなりたい」と意思表示することですごく良くなったと思います。
だからより多くの人にAZismで店長になりたいです。部長になりたいです。社長になりたいです。と宣言してもらいたいです。
宣言する価値は他にもあって、宣言することでより強い会社になれます。
店長であれ社長であれ、その役職になる競争が激しくなれば、勝ち上がった人はより強くなるし、より良い会社になると思います。
健全な競争を経て、僕がなれなかったとしても勝ち上がった人に今度は尽くしたいです。
企業の継続という観点においても宣言する人が多いことはとても良いことなんです。
社長になりたいという気持ちは個人的な役職やお金に対する欲ではなく、早くに役職を上げていただいた僕の役割の一つだと思っています。
若くして役職が上がった人が上を目指してないってなんか萎えるじゃないですか(笑)
【100年後にAZismが残るために必要なこと】
――手塚専務は取締役になってからどのくらい経ちますか?
たぶん6年弱だと思います。取締役になった直後ぐらい?からコロナ禍があって大変な時期もありましたね。
――AZismは2026年4月で40周年を迎えます。取締役として今後のAZismについてお聞かせください
30年を迎えることができる企業は5000社に1社くらいらしいですけど、もう30年過ぎたら40年も大きくは変わらないんじゃないかなと思います。乗り越えた会社だと思うんですよね。
30年を超えることができる会社が少ないのは、初代が優秀じゃないとそもそも30年に到達しないけど、一般的な会社だとちょうどそのころ初代からの代替わりがある頃だと思うんです。
その意味でAZismはまだ代替わりした企業ではないのでその日をどう迎えるか、というところがポイントかなと。
各商材の先の話は事業部の部長とかの意見もあるので、会社全体の大きな流れとしては、みんなで豊かになる利益の使い方を問われるフェーズに入ったと思います。使い道こそ理念を問われるので。
代表がよく言っている。会社は継続することに価値がある。という言葉ですが改めて大切なことだと思います。
継続に必要なものは、お客様と従業員に自分たちの活動が受け入れてもらっている。喜ばせられているというところだと思います。
好きになってもらえるような素敵なサービス、在籍しつづけたくなるような社内の環境、それを提供するための利益。このどれがかけても継続はできません。うまく循環させていきたいです。
それと100年企業ってところを考えると人に教えられる&伝えられるっていう能力も必要ですね。気合はあるけど教えられないし伝えられないと財産として100年後に形として残らないんですよ。
何かを学んで、自分の血や肉として身につけ、教えたり広めたりして会社全体が良くなる。それができる人が伸びるし、会社に求められて立場が上がっていくと思います。
100年後って当然ですけど代表や僕含めてみんな亡くなっています。そういうときに何が残っていたらAZismが100年後もあると言えるか?なんですよ。
残っているという言葉にはいろんな形がありますが、一つの考えとして、
100年後なんて株主も違うし幹部も店長も違うし商材も変わっていると思います。けどAZismの社内文化が残っていれば、AZismは存続していると言っても良いんじゃないかと思うんです。
だからそこも残せるようにしていきたいし、そういうことを重要視してくれる人により重きを置いていくと思います。
――ありがとうございました!
手塚専務のAZism人特別編、いかがでしたでしょうか?
会社を背負っていくその重みを感じた瞬間や意思表明の話など、興味深いエピソードがありました。もし手塚専務とお話する機会があったときはこのあたりの話を直接伺ってみるのも良いと思います!
(インタビュアー 企画戦略室 イタガキ)