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俺はもう、誰も信じねぇ

一言一句同じではないが、タイトルは漫画『孤高の人』主人公の森文太郎のセリフだ。
孤高の人は山登りやクライミングの漫画で、このセリフは森が高校時代にライバルもとい友人になりかけた宮本に裏切られ、冬の富士山に引きこもる時に発したセリフである。

彼ほどストイックに人を避けるわけではないが、最近はこの境地に至りつつあるので、心境の変化やそこに至るまでの苦しみを記録しておこうと思う。

搾取

僕の半生を一語で表現するならこれだ。
最近になって、自分がいかに搾取されてきたのかを実感するようになった。
いくつかあるので、1つずつ搾取エピを語っていこうと思う。

実家関連

幼少期はヤングケアラーに徹し、母親のメンタルケアに努めながら、兄による精神的・肉体的暴力に耐えてきた。
学生時代に少し道を外れた(法の範囲内)こともあったが、進路や就職先は母親が安心することを最優先した。まったくの無駄な選択だったわけだが。

成人後に兄が借金をして一家離散レベルの事態になった時も、母親をサポートできるように近場に引越した。精神疾患になって休職した時期に母親をかくまったこともある。

兄はいるだけで問題を起こす人で、僕にとっての兄は簒奪者であり、破壊者でもあった。悪魔のような存在だった。
また、兄と母は犬猿の仲で、口を聞けば喧嘩をするような感じだった。兄は癇癪を起こすと家のものを破壊した。壁に穴をあけたし、テレビやインターフォンのモニターにはドライバーをぶっ刺した。
果てにはパチンコで負けた腹いせに台所の戸棚を破壊することもあった。

こんな危険生物と母親を同居させるのは絶対にダメだ。
一家離散後、社宅に住む母親に対して、何度も兄と暮らすのは止めるように説得した。兄は実家を占拠していて、母親は実家に帰りたがっていた。

兄が実家を出ていくのは無理だと感じていたので、母親に実家を捨ててほしかった。広い賃貸を僕の負担で借りて、母親と2人で暮らすという選択肢も提案した。

しかし、母は兄のいる実家にもどった。
どうやら僕がいない状態だと、ケンカもそこまで激化しないらしい。
物心ついてから20代半ばまで、僕が母親にしてきた献身は無駄になったというわけだ。

少年時代からずっとやっていたメンタルケア係も無駄だったと言える。
母親は実家に帰るという目的を果たして、兄は兄で僕がいないことで安定しているようだ。

手前味噌だが、僕が母親や家に対してしていたことは献身と呼んでいいものだと思う。
しかし、その献身が無意味であったことは母親の行動によって証明されたし、むしろ逆効果だったことは今現在、平和にやっている実家の様子を見れば明らかだった。僕が20年弱、人生の最優先事項にしていたものは、まったくの無意味だったわけである。
この絶望により、僕は実家どころか地元にもいたくなくなり、関東から関西に飛んだ。

職場関連

母親のご機嫌伺いで、僕は学校の事務職員になった。
公僕だから安定しているという印象からか、僕が公務員試験に合格した時の母親は偉く喜んでいた。

ところで、学校の事務職員と聞いて仕事内容を思い浮かべられる人はいるだろうか。思いつくのはせいぜい電話や来客対応くらいで、何をしているのか知らない人が大半だと思う。

搾取構造にも繋がっているので、学校事務の仕事を軽く紹介していく。

まず、教育委員会から送られてきた文書を印刷して受付する作業だ。
まったくもってあほくさいが、僕のいた自治体では、教育委員会から送られてくる通達を受信できるパソコンは1校に2台くらいしかなかった。その1台が事務室にあり、事務職員はそれをいち早く確認する必要があったわけだ。

次に、教育委員会から各学校に振り分けられる予算をどう使うかを決めるのも事務職員だ。最終決定権は校長にあるわけだが、僕のいた自治体では事務職員が考えて資料をつくり、予算の振り分けを決め、校長はただ承認するだけだった。
消耗品や備品を購入する際の支払い手続きも事務職員が行う。
教員が独断で消耗品を購入して契約ごと放置したりするので、そこを取り締まるのも事務職員の仕事のようになっていた。

また、教職員の勤怠管理(出勤や年休の数、夏季休暇などの管理)も事務職員の仕事だった。職員の出張も管理して帳簿を書かせ、旅費を申請するのも事務職員の役目だった。中学校の教員には休日の部活指導なんかもあるが、それを集計して報告したり、各種手当の書類を書かせて申請するのも実質事務職員の仕事だった。

ざっとこれくらいだろうか。
後は年末調整などの集計も行っていた。
雑務&経理&事務、といった感じの内容だが、ここで問題になるのが教職員の習慣である。

教職員という生き物はだいたいが大学卒業後に学校で勤めるようになる。
教員はまともな社会経験がないから云々、という批判がしばしば見受けられるが、学校事務職員ほどこれを痛感するポジションはないと思う。
教職員は帳簿を書かないし、勝手に物を買って支払いを放置するし、提出を求めた書類もまともに出してこない。年末調整も事務職員に書かせるレベルで寄りかかる人も多かった。
民間企業から教員に転職した人はこういうことはしないのだが、大多数の大卒ストレート教員は本当に書類仕事がずさんだった。教職員が忙しいのも十分に承知しているが、それを差し引いてもあんまりな状況だったのだ。

なので、事務職員の仕事には教職員の書類や手続き関係の補助もある。いや、介護といったほうが正しいかもしれない。教員という集団はそれを当たり前の事として事務職員に求めるので、こちらとしても嫌々ながらサポートしていた。時には夜中までサビ残することもあった。

さらに、これは僕が不運だったわけだが、校長のパワハラに遭ったこともある。事務の仕事を知らないくせに僕を教育する、という謎の姿勢を持っており、出鱈目で間違った内容で僕を叱責することがしばしばあった。笑いものにされたこともあったし、会議資料を叩きつけられたこともあったし、年休消化を僕だけできないこともあった。
本人は指導のつもりだったようだが、これは明確なパワハラであり、うっぷん晴らしであり、感情的な搾取でもあった。

学校事務を経験したことで、僕は教員という人種がとことん嫌になった。
生徒や保護者目線ではいい先生でも、こちらからしたら要介護者で、業務に関係ないところで時間を搾取してくるのだ。
パワハラ校長に至っては人として論外で、可能なら今からでも精神的苦痛と今の惨状を突き付けて訴訟してやりたいくらいだ。

ルームシェア

学校事務を退職し、地元から飛ぶ決意をしたわけだが、僕はルームシェアをする予定でいた。

相手は同じ職業の同期で、同じ年度で退職した男だった。
彼と、住んだこともない海近くの街のアパートに引っ越して生活を始めたわけだ。

僕も彼も、言ってしまえば弱者男性に類するタイプの人間だった。
学校事務時代は、それぞれ別の学校で憂き目に遭っていた。現役時代は夜な夜な愚痴り合ったものである。

それに、彼は家庭環境もよくないらしく、何かと僕と境遇が似ていた。
だからこそルームシェアにまで至ったわけだ。
痛みを知る者同士、互いを尊重しながら静かに暮らせると思ったのである。

だが、ホモサピエンスはしょせん、猿から進化した動物でしかなかった。
ルームシェアを開始して早々、僕はそのことを思い知らされた。

厭世的でありながらも他者へのわきまえや思いやりを持ち、理不尽な暴力や搾取を許さないと語っていた彼は、自分がされてきたであろうことを僕にやるようになった。金や物に関する不誠実な振る舞いもあったし、マウントを取って気持ちよくなろうとするような言動も幾度となくとられた。

結局、人は猿の延長線上の生物で、例え痛めつけられた弱者同士が集まっても、その中で猿山を形成しようとするのだなと痛感させられた。

僕も友人として思いやりを持って接したつもりだったが、それらは浅はかなマウントの材料にされるばかりだった。

別の記事で書く予定だが、精神疾患による無気力状態のまま猿山の競争にさらされてしまい、僕は余計に人間不信になり、どうにかお金を貯めてさらに引っ越しをした。

その後も、いかに僕の行う献身が無駄で、他人からしたら遠慮なく踏みにじって構わない程度の軽いものなのかを思い知らされる出来事があった。


放棄することにした

ここまで失敗を繰り返し、搾取されてきてようやく、僕は自分の献身に糞ほどの価値もないことを思い知った。自分に価値がないのだから、せめて誰かに何かを提供しようと思って生きてきたが、僕の提供する思いやりやお金、時間は人にとってゴミに過ぎなかったらしい。
受け取った人は例外なく、口では感謝しつつも行動で僕ごと踏みにじってきたからだ。信用した人であればあるほど、そのダメージは大きかった。

散々痛い目を見てきたわけだが、今後はどうしていくべきか。

献身をやめる

今の僕は30代半ばの孤男で、精神障害者で、半ば狂人になりつつある。
この段になってようやく、僕は他者への献身をやめようという結論に至った。無駄なうえに、自分を苦しめるからだ。
これからは自分のためにお金を貯めて、自分のために環境を整備して、なるべく楽に不摂生に生きて早死にしてやろうと思う。母親を看取りさえすれば、僕の中にある生きる義務は消滅する。
後のことは考えていないが、おそらく一人ぼっちのまま畳のシミになり、特殊清掃業者の案件になるのだろうと思う。痛い思いや苦しい思いをしたくはないが、死に方自体は別にそれで構わないと思っている。

お金、時間、思いやりなどはすべて自分のために使う。
少しずつだが、微塵たりとも人に与えたりしないように自分を変えていくつもりだ。ゆくゆくは死にかけの人を平然と見捨てるような人間になりたいと思っている。

人を信用しない

ようやくタイトル回収になるわけだが、これがもっとも重要だ。
今まで僕は、なんだかんだ斜に構えながらも人を信じる姿勢は見せてきたつもりだ。しかし、その信用がいい方向に向かったことは、それこそ一度たりともなかった。

家庭由来のPTSDで弱々しくビクビクしているからか、僕が信用した人はことごとく僕を軽んじる行動に出た。どんなに近しい関係になろうとも、どれだけ僕が思いやりを持って接しても、例外なく心ごと踏みにじられた。

お金のやり取りが発生するビジネスの場であったり、お金を払ってサービスを受ける立場でもない限り、他人というものを一切あてにしないことにする。善意など僕に向けられるわけがないからだ。変に信用して、後で痛打を受けるより、最初から安全圏にいた方がいい。

ただし、僕自身が強くなった場合はこの姿勢を曲げるかもしれない。
トラウマ治療が上手くいくとか、肉体改造に成功するとか、そういう他者からの舐められを軽減する何かをえられた場合は、ある程度は他人を信用してやってもいい。力関係に物を言わせた支配という形かもしれないが。

しかし、現状は治療もトレーニングもままならず、基本的な生活を意識してやっていかないと倒れるかもしれない状況だ。自分が強くなるというのは、一生かなわない妄想となる可能性が高い。

その場合は、やはり誰も信用せず、自分が得た物はすべて占有するスタンスで生涯を終えることになるだろう。

例外はいずれ飼う犬だけだ。
おそらくだが、ホモサピエンスと違って犬は返報性を持っている。

とまぁ、年の割に痛々しい文章を書いたが、人知れず発狂する数か月を過ごした結果、こういう考えに至ったわけである。
人の決意の脆弱さもよくわかっているつもりなので、指針としてこうして雑に書きなぐった次第だ。

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