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統率者戦におけるカジュアルとコンペティティブとパワーレベルの話

どうもこんにちはハセワワです。

最近、統率者という遊び方において価値観の更新があったので自分自身への戒めや目録として
あえて記事を書こうと思います。
またかなり序盤はカジュアル勢のお気持ちグロ構文が含まれるので全文読むのが手間な人は目次の結論まで飛ぶ事を推奨するぜ。


昨今、統率者戦という遊び方は人気が高くプレイ人口が増えているという状況は周知の事実でしょう。

人口が増えるということは即ち価値観の相違によるトラブルも増えているというのも事実です。
そんな中で良く出る話題に【デッキレベル】の話が定期的にSNS上では議論されます。

勝ち方、採用カード、金額‥etc
色んな方が色んな方法で解決策や妥協点を提示していてそのいずれも私は興味深いなと思い見ています。

最近身の回りで起きた事を発端として自身の価値観のアップデートができたので、その実体験も含めて共有できればと思います。
※かなり長くなってしまったのでご了承ください。

コンペティティブ(cEDH)とカジュアル

事の発端は普段の仲間内でEDHをしていた事、
私は【原初の飢え、ガルタ】をプレイしていました。

おおよそ小一時間ほどゲームをプレイしていた時に私は【壮麗なる創造】をプレイしました。

このカードをプレイして捲れたカードの中に、
多くのファッティと【調和の中心】【食物連鎖】が捲れました。
その結果手札にあるクリーチャーを展開し膠着した盤面を押し切りそのゲームに勝利しました。

その直後一緒にプレイしていた友人の1人が「そんな強いカードを使うなよ」と言い出しました、これに対し私は最初「?」と困惑し一体何を言っているのかわかりませんでした。

しかし途中でハッと気づいて【調和の中心】や【食物連鎖】の事かと気付きました。

その時の心情として【原初の飢え、ガルタ】において【調和の中心】や【食物連鎖】などがなければ根本的にゲームに勝てないし仕方なく入れていました。
代わりに【永遠の災い魔】や【歩行バリスタ】を採用せず簡単なコンボで終わらせれないように調整してかつこのデッキのメインコンセプトである【数多の緑のファッティを使用して対戦相手のライフを削る】を実現できる最低限のパワーを担保したつもりでこのデッキを組み上げました。
緑単色で【調和の中心】や【食物連鎖】を直接サーチする手段はかなり限られており、
このデッキではクリーチャーと土地以外のサーチ手段は0にしていたのでデッキレベルなんてそんな高くないと考えていました。

友人に言われた時にこのカードも強いかぁと納得しかけていました、しかしよく考えると小一時間もプレイしていて対戦相手のライフ削るデッキなのにゲームを終わらせる手段が無いのはデッキとしてどうなんだという事を思い、
私は友人に「そこまでそっちに合わせたくないそもそも緑単でイージーな勝ち手段も入ってないしこんな勝ち方しかできないんだ」と言いました。
友人は「勝ち方の問題では無くコンペティティブなカードを使うな」と言われその後も軽い口論となりましたがなんやかんやその場は収まりました。

その日以降コンペティティブなカードについて私は考えていました私の中でデッキレベルとは、デッキ全体の構成やテンポ、アドバンテージ等様々な面を考慮し組んだデッキ全体のパワーやバランスの事だと認識していた、
だが友人はコンペティティブなカードの使用について言及をした。
これは自分がカジュアルとして"組んで"いただけで一部(デモコンタッサ等の即死コンボ)を除きコンペティティブなカードの使用を控えた事はなかった。

数日後、その友人からグループLINEにてこんな記事を共有された。

ぱいそんさんの記事である。(勝手に引用してすいません)

この記事を読んだ時なるほど確かに!と感じた。
特にその感動を覚えた部分は以下の部分だ

・《ハルマゲドン》で人の土地を割らない
・人をゲームから締め出すカードをプレイしない
・安定して3ターン目にゲームが終了する呪文を唱えたり勝利条件を達成しない
・コンボカードの片割れを4ターン目にチューターしない

これは確かにカジュアルでやられると所謂"寒い"行為だ。

その後の議論において私は以下の考え方を持った。
・再現性の高いデッキ構築やカードの使用
・一部のデッキが機能不全を起こすカード。
・他人をゲームから締め出しそれでいてゲームを継続させること
・高速でゲームを終わらせる行為
・リス研、レモラ、息詰まる徴税

これらの事はカジュアルなedhにおいて避けるべきだろうと思った。

その後もコンペティティブとカジュアルについて考えがまとまりきらずダラダラと思考していた。
そんなある日別の友人Bと2人でいる時に、
グループLINE内の議論について意見を聞いた。
友人Bは統率者戦をプレイして日が浅くまたカード資産も乏しい。
それでいてcEDHをプレイした事のないプレイヤーだ。

友人Bの意見はこうだ。
・太陽の指輪を除く複数マナ加速が最序盤でできてしまうカード(魔力の墓所、魔力の櫃、古の墳墓等)※太陽の指輪は構築済みデッキで許容されているカードの為不問とのこと
・0マナでマナを生み出すカード(金属モックス、モックスダイアモンド、オパールのモックス等)
・複数回カードの再利用する(永遠の証人、古術師等)
・複数回能力を再利用する(通電式キー、旅するサテュロス等)
・サーチカード
・同一ターン中に複数回カードプレイ
・最善のデッキ構築と最善のプレイ
等々正直もっとあったが書ききれないのでこれくらいに。

なんともまぁEDHのありとあらゆる事を否定しているので、なんとも面白い観点で流石初心者だと思った。
わざわざ上記で書いた項目には同意できる部分とEDHという遊び方の多様性を否定する部分がある。

まず最序盤での急速なマナ加速についてこれは確かにカジュアルと言えないなと思った太陽の指輪すら禁止する海外EDH界隈があるくらいだしな。

次にカードや能力の再利用についても概ね同意だ統率者の能力ならまだしもメインデッキでやられると同じゲーム体験になりやすくハイランダーの面白さを損なう行為であると感じた。

サーチカードと同一ターン中に複数回カードをプレイするという部分においては概ねサーチカードが悪いわけでどんなに弱いサーチカードであってもそれをプレイできるデッキに仕上げているので採用自体は否定しないが、サーチカードの枚数を多く入れるのは再現性を高くするだけなので避けるに越した事はないだろう。

最善のデッキ構築と最善のプレイに関してはこれは経験値の差が最も顕著でるからこの言葉が出るんだろうがそれは経験値の高いプレイヤーを否定することに他ならないのでここに関しては私自身否定的である。

とまぁ短期間でパワーレベルに関しての話題が2回もあり、ある程度考え方がまとまってきた頃某太陽の店でいつも通り統率者のイベントに参加した際にとある外国人と知り合った。

彼は最近mtgを復帰したそうでEDHにお熱だ、少し失礼かもしれないがEDH対するものの考え方が日本人が想像する典型的な外国人EDHプレイヤーというのもありカジュアルEDHに対しての認識や接し方を改める良い機会であった。

豪快で適度に妨害もしてそれでいてしっかりコミュニケーションを取る、そして揃えば厄介な激重ドリームコンボもぶちかましてくる。
これこそカジュアルEDHと私は震えた。

そのイベントの後帰る方向が同じというのもあり一緒に帰った。
その際に聞いた彼の言葉が、
「今日プレイしたレベル(5-6)はコンペティティブなデッキ多かったね、日本はカジュアルなEDHないですか?」だ、
その言葉を聞いて私は気づいた。

結論カジュアルとcEDHは絶対に同卓するな喧嘩になるぞ

日本におけるデッキレベルとはcEDHの中の指標でしかなく、
カジュアルEDHをプレイする時にはデッキレベルもクソもないのだ。

cEDHとカジュアルEDHでは目指す終着地点が違う。
かなりの暴論だがデッキレベルが1でも10でも勝利を追求すればそれはcEDHだ。
カジュアルEDHでは勝利は二の次でそのゲームをどれだけ和気藹々と和やかにプレイできるかが大事なのだから

実はこの結論に近いことはぱいそんさんの記事内でも記載があった気がする。
私はこの時、価値観がある種の完成化を成したのだ。

最後に

ここまで読んで頂きありがとうございます。
私は今までデッキレベルでカジュアルかcEDHかを判断していた。
だからパワーを落としてデッキを組めばカジュアルになると信じていて、
カジュアルに組んだと思った時に強すぎると言われて正直モヤモヤしていた。

今回の一連が無ければ私はカジュアルなEDHについて到達することはまだ先になっていて価値観が固まってしまっていただろう。

私は感謝したいこの一連で言葉を交わし議論してくれた友人達に。

私はこれからもcEDHであってもカジュアルでも統率者という遊びを好きでいられるだろう
そしてこの発見があったのでまた私のデッキは増えるだろう。

そして最後にmtg日本公式が出したデッキレベルの画像は正直参考にならないと感じた。

今回の経験から私は某太陽の店の住み分け方法を支持する。
・party
・battle
・challenge
・the game



皆さんはどう思うだろうか私自身のお気持ち表明文になってるかもしれないしキモオタの独り言でもある。

だが何かの参考になれば幸いです。

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以上、ハセワワでした。

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