オナホだと思ったらエホバだった回
最近宗教の話題が絶えない。
テレビ番組、Twitter、ネットニュース
どこもかしこも宗教ネタを1日1回は目撃する。
一時期のACのCMほどではないが。
この記事は、2019年5月某日、
私が実家にてAmazonで頼んだオナホールの到着を待っていた時の話である。
チャイムが鳴る。
私は頼んでいたオナホが届いたと思いインターホンを取る。
「ごめんください。
エホバの証人から参りました。」
エ「突然ですが、貴方は死後どうなるとお考えですか?」
ボク「無、じゃないんですかねぇ(オナホじゃねえのかよ。俺は今「虚無」だよ)」
エ「その通りでございます。聖書の教えではそのように記されています。大抵の方は死後は転生とお答えになるのですが」
ボク「我々が生まれる前の意識が無いように、死後はそんなもんなんじゃないですか。無ですよ。無」
エ「まったくその通りでございます。ご主人様は聖書の考え方とほぼ同じでございます。死後救済されるかどうかの違いはございますが」
ボク「では、エホバの証人さんは、死後の救済に重きを置いているということですか?」
エ「いえ、神が人間は幸せであるべきとおっしゃっていて、我々が幸せに暮らすことが大事なのです。」
ボク「では、現世での幸せに重きを置いているということですね?」
エ「はい。」
ボク「では、率直な質問なのですが、エホバさんは輸血を拒否していると思うのですが、それは『現世の幸せ』を犠牲にしているのではないでしょうか?」
エ「そのようなことを聞かれる方も多いのですが、聖書にも『血を食してはならない』とありまして、動物の肉は食しても良いですが、血は地面に落としてお返ししなくてはならないのです。」
ボク「戒律を守るあまり、輸血できないことによって寿命が短くなって、早死にしてしまうことは「現世の幸せ」に反するのではないですか?」
エ「確かに寿命が輸血によって伸びはしますが、長い目で見たときに、幸せになるのは輸血をしないという選択肢なのです。」
ボク「『長い目で』とは?」
エ「アダムが約束を破ったために、我々の苦悩が現在ございます。同じように、我々が今、聖書に反する罪を犯せば、死後救済されないでしょう。」
ボク「それは先程おっしゃった『現世での幸せに重きを置く』と矛盾していませんか?「死後の救済に重きを置いている』ということですね?」
エ「いえ、現世も死後も幸せになろうとするのが我々エホバの証人です。詳しいことは座談会にて案内をさせていただきたいのですが。」
ボク「いえ、結構です。」
エ「では、またこうやって訪問させていただいてもよろしいでしょうか?」
ボク「私、今、客人として沖縄から来ていまして、明日には東京から旅立ちます。この家の住人はそういった宗教が苦手なので今後の訪問はやめてください」
エ「かしこまりました。お話を聞いてくださってありがとうございました。」
ボク(オナホまだ届かないかなぁ?)
ちなみに、頼んでいたのは「ぷにあな」というロリマ●コをモチーフにしたふわとろ仕様のオナホールで、
エホバの襲来から1時間後くらいに到着した。
死後の救済よりも事後の9歳を優先したのは言うまでもない。