白刃は夜舟で -茨城遠征-
注意書
これは後に自分が更に知識を得た時に振り返って
「こんなこと言ってら」と感じるための覚書です。
素人意見は間違えてれば間違えてるほど良いとは思いませんか?
…思わないか。
まあまだ刀剣の各部名称すらまともに言えないけれど、
せっかく鑑賞しているのだからそろそろ感想くらいは言えるようになりたい。
あわよくば文字に起こして冷静になって、更に疑問を持てるようになりたい。
そういう文章です。
本書
2023年、5月。GWに合わせて刀剣乱舞が色々コラボしてくれていたので、
好機とばかりに友人を連れ茨城へ遠征に行った。初茨城だ。
今回行ったのは古河歴史博物館の國廣展と徳川ミュージアム。
1日目は古河歴史博物館の堀川国広コラボ、「かえってきた堀川國廣」。
同一刀工だけの展示を見るのは初めてで、右も左も「銘 國廣」が並んでいる光景は、少し不思議な感覚がした。
國廣作刀を見るのも実はこれが最初で、姿も刃紋もじっくり比べてみることができる良い機会だった。
先ず目が行くのはやはりそう、大好きな鋒。スッと伸びた刀身が急に先端で外側へ反り返り、鋭く、というよりは尖って見えるのが印象的だ。これを見られただけでも、茨城へ行った甲斐がある。非常に好みの鋒に心が躍る。特に薙刀など、遠目からでも恐ろしく思う程だった。
次に刃紋。同じ刀工の作品が並んでいたからこそ、刃に沿う様に細く描かれたもの、刀身を覆う程大胆に太く描かれたもの、正確に真っ直ぐ通った直刃から小気味良いリズムで波打つ丁子乱…幅広い刃紋の表現に圧倒され、見応えしかない。
刀身に梵字や倶利伽羅、二筋樋など彫刻の入った刀身が多く、美術品として素人目で見ても楽しい。
…所で唐突に話は変わるが、なんというか、
國廣、銘が、丸文字で、めっちゃ、かわいい!!!
刀剣乱舞の人間無骨が刀工の影響で乱筆であると提示された事で、国広兄弟が実は丸文字かもしれない可能性が私の中で急浮上している。
本作長義も銘を入れたのは國廣らしく、では銘は丸みを帯びているんだろうか?かなり興味が湧く。機会があれば是非見に行きたい。
國廣が山伏時に作刀したもの(刀 日州古屋住國廣山伏時(以下略))もあって、これは山伏国広の兄弟、もしくは先輩とも言えるのだろうか…。もっとしっかりメモを取ればよかった。
そうだ、今回の展示で推し刀剣だと決めたのは、2番目に飾られていた短刀 國廣。
鋒の鋭さも刃紋も美しいと思ったことだけは覚えているが、これまたメモ不足。次回鑑賞の際はペンを持ち歩くことにしよう。反省。
古河が雪結晶で有名だと、此度の遠征で知った(藩主:土井利位による雪華研究が行われ、図説が発行されたらしい)のだが、確かに街中を見渡せば至る所に雪を遇らったデザインが散りばめられている。この展示ではその雪花図説に因んで作られた拵えも展示されていて、黒漆を塗って研ぎ出された鮫皮が雪の降る情景を模していてお洒落だ。雪華の彫刻が入れられた鍔も非常に美しい。
このコラボ展示では古河歴史博物館のTwitterで「これを見て現存しない土方歳三の脇差 堀川国広へ想いを馳せてください」と紹介されていた、ニトロプラス所蔵の脇指 國廣を見ることができる。現存しないキャラクター、まして贋作とも囁かれる刀とのコラボレーション企画は、大変勇気が必要だったであろう。
また別著で語るので今回は詳細を省くが、以前に乱藤四郎とその偽物を並べた展示へ足を運んだことがある。そこで「本来ならばあり得ない、許されない展示」と言った声があった。ならばこの展示はどうなのだろう。私は刀を鑑賞し始めて、一年にも満たないぺーぺーの新米審神者である。だからどうにも刀工や名刀、積み重ねてきた歴史への敬意、とでも言うのだろうか、そういう感情にまだ疎い。だからどうしてもこの場に立ち会いたくて、今回の遠征を決めた。詳細の分からぬ、現存もせぬ堀川国広を想い、刀工堀川國廣が作刀した名品を見る。答えはまだ分からない。
しかし私は、刀剣乱舞をきっかけにしなければここの刀たちに一生会う事もなかった事、それだけは確かである。
もう一度ショーケースへ目を向ける。脇指 堀川國廣の刃が照明を浴びて湾れをきらりと反射する。この刀を最後に、展示を後にした。
2日目は水戸の徳川ミュージアムへと向かった。
ここで展示されている刀剣は焼刀と復元刀のみで、黒い刀身がずらりと並ぶショーケースは、他の展示会とはまた何処か違った緊張、いや緊迫感すら漂わせていた。
入ってすぐ正面、月山貞利作の復元刀、太刀 児手柏が迎えてくれる。復元刀ならではの傷一つ無い滑らかな肌がきらりと光る。
恥ずかしながら私は児手柏をここで始めて知ったのだが、第一印象では大きな反りに小鋒のコントラストが目を引くと思った。太刀の大きな刃がゆったりとした波の様に刃紋を描く。
焼身となった本歌、児手柏が少し離れて展示されている。刀身を黒くし、すっかり刃紋を失って尚、甲冑や軍配と並び静かに佇むその姿は、かくも勇ましい。炎で溶けたハバキが煤色の肌を琥珀色に染め上げて、まるで蒔絵のようだ。
児手柏は表が乱れ刃、裏が直刃であると説明書きがある。こういった表裏で刃紋が大きく異なるものはまれに見かけるものの、両面を見られる機会は滅多にない。福岡市博物館で年始にへし切長谷部や日光一文字を展示する際には期間を設けて裏返し、どちらも見えるように飾るようだが、やはり珍しく貴重な場なのだろうな、と思う。
児手柏はこの刃紋から細川幽斎が万葉集の歌から命名した刀だそうだ。もし今後刀剣乱舞に実装されたら細川組が増えるのか。それも楽しみだ。
そう言えば、このところ行く先々で月山派の刀を目にする。また別の機会に記そうと思っているが、以前見た月山貞勝作の剣がとても美しかった。鋒が尖れば尖るほど好きだと思っている私だが、今回の児手柏で月山派の小ぶりな鋒が気になり始めている。大阪梅田の展示会行けばよかったなあ。
次へ移ろう。今回の目的のひとつ、八丁念仏。
火災の時、ハバキを外していたのだろう。金はなく、灰を撒いたようなザラザラとした刀身に所々緑青が散らばっている。刃こぼれも見られて、他の刀剣と比べこの刀は被害が大きいようだった。
八丁念仏は最近実装されたキャラクターであり、黒い肌と青い髪のデザインは焼刃と緑青の色合いから来ているのだろうか、などとショーケース越しに姿を重ねる。
細身のスラッとした見た目に、目貫穴も一つ。大変シンプルだ。
ほー、いいじゃないか。こういうのでいいんだよ、こういうので。
徳川ミュージアムは”刀剣プロジェクト”として、名刀を後世へ残す為に活動をしている。児手柏と燭台切光忠の復元刀も、そのプロジェクトの活動のひとつだ。今後もしかすると、八丁念仏も復元が作刀される可能もある。蘇った刃紋、鋒。是非見てみたい。
時に筆者は依然として夢のある話に目がない、所謂厨二病である。だから八丁念仏とか、波游ぎとか、二念仏とか、斬られた事に気付かない逸話、超カッコイイ!よなあ!そうは思いませんか?????思いますよね!!!?????
さて次に話すのは此度の大本命、燭台切光忠。
私が必ず見ると決めていた第一部隊の一口である。
いや、もうね、すごくキレイでかっこいい最強の刀ですよ。ほんとに。
燭台切は一口でケースに入れられており、ミュージアム内でも特別な品といえる。焼刃でも一際、威圧にも似た存在感を放っていた。
児手柏は、隙間なく溶けたハバキの金が塗られていたが、こちらは大胆に黄金色が唸るように広がり、まるで炎が揺らいでいる様に見える。関東大震災で焼けた時、身にその情景を閉じ込めてしまったのか。
蝋燭の灯が、消える瞬間を想像させる”燭台切”。何か因果めいたものを感じてしまうのは、私だけだろうか。
刃に欠けも少なく、未だ滑らかな曲線を描く姿に妖艶さまで感じる。
刀剣乱舞で実装され、それをきっかけに発見されたと聞いたことがあるのだが、
まるでこの姿を見て描いたように黒と金で統一された、本当に良いデザインだ…。と改めて思う。
宮入 法廣刀工作の復元刀で見る刃紋は、細い乱刃がスタイリッシュ!という印象だ。ほんとにカッコいいな。身は太めで鋒は小さい。刃区が特にどっしりとしていて、重量感がある。茎を跨いで入れられた樋がまたお洒落さに磨きをかけている。流石は伊達政宗の佩刀。粋である。
遠征へ行くと決めた時、これから見るのは焼けた刀だと聞いて、まず想像したのが刃こぼれや歪み等の傷みが激しい姿。だが、まったくそんなことはない!杞憂である!と遠征前の自分に言いたい。
よく見れば確かに欠けている部分もあるが、大火災の後にこれほど姿を保っていられるのは保存の技術と、絶え間ない努力の証明だろう。
素人の感想ではあるが、むしろ焼け溶けて刀身にこびり付いたハバキすら装飾、芸術の一環ではないだろうかと思ってしまう。武器として役目を終えたこの刀は、美術品に生まれ変わった、と言えば良いのだろうか。
物言わぬ刀は、また既に口無しの歴代の持ち主は、この姿をどの様に受け取るのだろう。少なくとも今、私は率直に「美しい」と思っている。
そうだ、この展示で焼刃とはいえ初めて郷義弘作刀の脇差も見られた。一目で短刀かと見紛う程、小ぶりなものだった。郷は殆どお目にかかれないと聞いているが、それほど珍しい物なのに、もう刃紋は見られない。何れ郷の刀ともまたキチンと向き合ってみたい。
入り口でねんどろいどやちゅんこれの燭台切に出迎えられて始まる徳川ミュージアム。
更に展示の合間を縫って、至る所でグッズ化された燭台切を見かける。
花丸とコラボをした特急 燭台切光忠は記憶に新しいが、そのグッズを集めたケースもある。切符すら保存してあって、非常にオタク心がくすぐられてしまう。
展示場とは別館に、歴代燭台切グッズをまとめたスペースがある。言わば祭壇だ。
存在は知っていたものの、実際目の前にするとその数の多さに「おおっ!」と感嘆を漏らす。
SNSで上げられてきた、まるで生きているかのように撮られたねんどろいど燭台切の写真も所狭しと壁一面に広がる。合わせて小さく作られた小物や洋服が、この徳川ミュージアムの燭台切に対する想いの深さを示している。
会場より早くに着いてしまった私達にも、中で待機出来るように案内してくださり、スタッフの方々はとても親切に接して下さった。徳川ミュージアムは人へも物へも熱い想いがあるのだなぁとこちらまで心が温かくなった。
それから、オタクの心が分かるので非常に非常に居心地が良い。コラボパネルが設置されている間、定期的に位置を変えているようなのだが、私が訪れた日は丁度二つ並べた日だった。それを「今日から2人が並んでいるんですよ〜!」と教えてくださったスタッフの方。ありがとうございます。そうなんです。2人、なんです。悲しき哉、そう言った細かい所にオタクはつい喜んでしまうのだ。
(余談だが、ここの広い庭では徳川の家紋(のシール)を与えられた、芝刈り機“格さん”が働いている。注意書きの看板を読むと分かるが、生き物の様に可愛がられている。もし足を運ぶ機会があれば彼にも是非目を向けてみてほしい。)
そして、刀剣乱舞コラボで堀川国広スタンプラリーを開催している國廣展。
古河駅ビルの中、古河歴史博物館の中、そしてその先の奥まった別館の中に備え付けられたスタンプ台へ人が集まっている。
思えば、西へ東へ刀剣鑑賞をしていると、コラボであろうとなかろうと、必ず審神者とすれ違う。
地理に、歴史に、ましてや刀剣に興味を抱いてこなかった未熟な私も、その内の一人だと思うと気恥ずかしさも(無知な癖して厚顔無恥にこうして感想を認めているにも関わらず、)ある。
知らなかった土地の、知らなかった偉人の、知らなかった刀の事を、こうしてたくさんの人が深く愛しているのを目の当たりにすると、私ももっと知りたい、愛したいと思う様になる。
だからもう少し、私も見るのだ。未だ見たことがない刀剣達を。
次回の遠征予定は6月に宮城県大崎市で開かれる刀の教科書展。そこで大倶利伽羅と乱藤四郎が展示されるとの事なので、是が非でも行きたい。水神切の情報も入ってきたので楽しみである。
鑑賞の暁には、また感想を記したい。
茨城遠征
以上。