白刃は夜船で -就任一周年振り返り 1-
注意書
これは後に自分が更に知識を得た時に振り返って
「こんなこと言ってら」と感じるための覚書です。
素人意見は間違えてれば間違えてるほど良いとは思いませんか?
…思わないか。
まあまだ刀剣の各部名称すらまともに言えないけれど、
せっかく鑑賞しているのだからそろそろ感想くらいは言えるようになりたい。
あわよくば文字に起こして冷静になって、更に疑問を持てるようになりたい。
そういう文章です。
前書
一年を迎えた私の本丸の、第一部隊が7振り。
初期刀の歌仙兼定、初鍛刀の乱藤四郎、へし切長谷部、にっかり青江、燭台切光忠、和泉守兼定、大倶利伽羅。
これらは幸いにも全て現存している。
つまりは全て見に行きなさいと(私が)告げている…!という事で完遂するまでは終われないと己に課している。
とはいえ文字を起こそうと思い始めた今、実はもう
歌仙兼定 済
へし切長谷部 済
乱藤四郎 済
にっかり青江 未(未発表)
燭台切光忠 済
和泉守兼定 済
大倶利伽羅 未(6月に予定有)
となり、ありがたい事に残すはたった2振りだが。
展示によって説明書きや見せ方が違うので、機会があれば何回でも行きたいとは思う。
まだ展示予定がないニッカリ青江の展示、待ってます!宜しくお願いします!
ここで自己紹介をば。
今まで刀どころか美術館や博物館にも殆ど興味を持たない人生を送っていたのが、審神者に就任してから急変した。
一目惚れで初期刀に選んだ歌仙兼定がタイミング良く展示される事を知り、熊本へ行ったのをきっかけにして刀剣鑑賞を始め、刀剣展示の情報を聞きつけては西へ東へ遠征へ行った。
熊本、大阪、京都、福岡、広島、千葉。たぶん100口は見た。
一度の展示で沢山の刀剣を出してくれるので、どれに行っても大変勉強になった。
そして再び歌仙兼定が東京で展示されると聞いて行ったのがおおよそ半年後。
なんの知識も持たずに行った頃と比べると、やっぱり少しは見方も変わるのだなあと思った。
ふと思えば、子供の頃は退屈で大嫌いだった博物館や美術館の楽しみ方も知ったし、地理が大の苦手だったので行こうと思うどころか知らなかった土地まで踏み入れて、たかが、されどの一年だった。
刀剣鑑賞の散歩でだいぶ世界が広まった気がする。
さて、刀剣の振り返りをするにあたって、まず鋒の話がしたい。
私は歌仙兼定の鋒に惚れて以来、鋒を見る為に刀剣鑑賞をしていると言っても過言ではない。
日常で使い易さを重視した量産の包丁やハサミ等の刃物は目にしてきたが、武器として命綱として切れれば切れるほど良いとされる刀では比べ物にならない程違うのだと、初めて実物の刀剣を前に無知ながらも衝撃を受けた。
触れれば欠けてしまいそうなほどの繊細さを、何百年と保つのはどれ程大変な事だろうと考えただけでも目眩がする。おまけにその触れれば欠けそうな部分は、安易に触れればこちら側が傷付くのだろう。気付けば、鋒とそうでない空間の境目にもうすっかり魅了されている。
実際、遠征後にカメラロールを遡れば、鋒の写真ばかりである。我ながら変態じみていると思う。
では早速、初遠征の時から振り返りを。
と言いたいところだが、最初はこうして文字に起こそうなどと思いもよらなかった上に、知識も無え!予習も無え!審神者もそれほど経って無え!の状態であったので、Twitterに書き込んだ走り書きを元に清書したような間違いだらけの稚拙な内容である事をご理解ください。
まあ半年、一年そこらでそう簡単に知識が身に付いてたまるか。
本書
初遠征、熊本。
熊本県立美術館で歌仙兼定コラボが行われると聞いて、居ても立っても居られずにホテル付きのチケットを購入し、友人を連れて飛び出した。
因みに早速の余談ではあるが、当人関西、友人関東、行き先九州である。ジャンル外の刀もとい刀剣乱舞すらミリしらの友人を飛行機に乗せて来させた。鬼畜の所業である。
本題に戻る。知識もなく鑑賞した歌仙兼定は、先述通りまず鋒の鋭さに目が行った。
茎から刃へ続く刀身をグッと濃縮した様な先端が心を掴んだ。刀剣乱舞で家臣の手打ちが由来と聞いていたので、ぼんやり戦の刀なんだなあだと思うよりも、事実人を斬ったという印象が色濃かったからそう思ったのかもしれない。鋭い鋒はガラス越しで距離のある私にまで、人も物も両断してしまうような冴えた斬れ味を訴えていた。
次に、何百年も昔のものだから傷や錆が付いているものだと思い込んでいたのに、とんでもなかった。刀は光を浴びて銀色にきらきらと輝いていて、刃と地の白黒がはっきりと分かる。二度目に見た時は冷静に細やかな傷が付いているのが見てとれたが、この時は想像を遥かに超える綺麗な見た目に心奪われてそれどころではなかった。
私は包丁の先端が思いっきり折れた瞬間を見た経験がある(当然、無い方がいいよ)。切先と言われる部分がゴッソリ欠けた包丁は、刃物は数年で折れてしまう程に脆いというイメージを私にいつの間にか植え付けていた。
その為長い時を経て尚、これほどに美しく保たれている刃物を目の前にして、内心かなりショックだった。だから、こんなに鋒を執拗に追う様になってしまったのか。憐れ。
笑ってしまうが、後日砥石を購入して普段使っているものから仕舞ったままのものまで、家のあらゆる包丁を研いだ。必死である。
刀剣鑑賞の知識が皆無ながらに、刀は刃紋を見る物だというのは知っていた。だから見よう見まねで目線を落として眺めてみたものの、「ふむふむ…綺麗だなあ」くらいにしか思えなかった。なにも知らないので無理もない。なので刃紋の感想は二度目の鑑賞時の振り返りでする。
そもそも、柄も何も付いていない状態の”刀”を意識したのも最近であった為、茎や銘の事も殆ど覚えていない。写真を見返せば感想は言えるが、それは今だからであって初見の感想ではない。なので今回は割愛する。
そういえば歌仙兼定と言えば歌仙拵だが、写真だけで本物はまだ見たことがない。いつか見る機会があれば飛んで行くのだろうと思う。
同日、別館にて熊本由来の美術品展示が開催されており、同田貫派の刀も目にすることができた。
思えば歌仙兼定を見た後、すぐに見たのがよかったのかもしれない。
同田貫正国(銘 九州肥後同田貫藤原正国)が飾られていたので、知っている刀とあって興味もすぐに持てた。
刃紋は大きくうねっていて(湾れ)身幅も広く、私が思う刀のイメージそのものだった。恐らく私が今まで刀を描けと言われたらコレを描いてきただろうと思う様な見た目だったので、親近感すら抱いた。
並んで展示されていた同田貫源左衛門の刀はまだよくわからなかったが、どちらも鋒が鋭く美しいと思った。
歌仙兼定だけでなく、どの刀も繊細に作られて繊細に保管されているのだと確信、と言うのもおかしな話だが、納得したというか腑に落ちた気がする。
二度目の歌仙兼定を見に行った日にも、別の刀ではあるが同田貫正国を見に行っているのでこれもまた縁なのかもしれない。何を隠そう、私が今1番推している刀工は同田貫正国である。身幅も重ねもずっしりとしていて実践刀として何処か物々しい雰囲気が、大好きである。この時何も知らない私はこともあろうにさらりと見終えてしまうのであった。惜しい。実に惜しい。源左衛門の刀ももっと良く見ておけば良かったと今更ながら思う。
見ろぉっ!!見ろーっ!!
写真を見返せば直刃で正国より少し身幅が狭く、スタイリッシュな刀だ。並べてあるのだからその差がさぞ楽しめたであろう。
同田貫源左衛門を納める黒漆拵は同田貫派の刀がいかにシンプルな刀剣であるかを強調していたし、細川三斎考案の肥後拵の栗色漆拵は、歌仙兼定もこう言った拵に着せ替えられる事もあったのでは無いかと想像させる。
どれも皆見直したいものばかりである。
是非また展示して下さい。熊本散歩しに行きます。行きたいです。
熊本遠征のまとめとして、刀だけでなく散歩で見たものも簡単に残しておく。
丁度慶長熊本イベントの復刻直前だったということで、熊本城もじっくりと観光した。
再建されただけあって、だいぶ現代的な作りになっているんだなと思ったのが第一印象。慶長の熊本城に想いを寄せて…という訳にはいかなかったが、正直まだ歴史に浅い私には見やすかった。当時の城内を再現したミニチュアが可愛かったと記憶に残っている。
そういえば幼少期にどこかの城に観光へ行ったような記憶もあるが…、よく覚えていなければこれが初登城である。熊本で初登城しました!
慶長熊本イベントが開催された時に、マップや背景のイラストに既視感を覚えてみたりして、先に熊本へ行けて本当にタイミングが合っていたなあと思う。
闇り通路が今もあると知って、行かなかったことを後悔したがそれはいつかまた行けた時の楽しみということにしている。
せっかくの観光なので、美術館で歌仙イメージのパフェも食べたし(からし蓮根チップスが美味しかった)、歌仙兼定のパネルと並んで写真撮って貰ったし、でっっかいくまモンとも写真撮ったし、いきなり団子も食べたし、
私の本丸の歌仙には馬の松風を与えていたので、土産で買ったお菓子”松風”に勝手に喜んでみたりして、オタクっていいなあとしみじみ思う初遠征だった。
これでタガが外れて日本各地を飛び回る事になろうとは、つゆほども思わなかったけれど。
次回は京都へ和泉守兼定と薬研藤四郎復元を見に遠征した時の振り返りをする。
熊本遠征振り返り
以上。