ANTI ANTI SOCIAL NETWORKING SERVICE GENERATION

どうも

蝶のように舞い蝶のように刺す

でお馴染みの人間でございます

2022年を生きる皆さん

現代は本当に厄介極まりない時代です

常に他人の行動が目に入る
他人からの評価が頭にちらつく
何をしても他人と比べられて、比べてしまう
それもこれも全部

SOCIAL NETWORKING SERVICE

奴のせいです

SNSを使うと共通の趣味を持った人と簡単に繋がれたり、タップ1つで写真や動画をアップロードできる。つまり、自分らしさを簡単にアピールできる。
SNSとはつまり世界を広げることだ。今まで自分が生きてきた世界とは全く文化も常識も違う場所への小旅行だ。誰も本当の自分を知らない。どこへだって行ける。何だってできる。しかし、そういった自由にはいつも不安がついてくる。何者にでもなれるが故に何者になれば良いのかが分からない。SNSも同じだ。誰も自分を知らない。
自分を知ってもらうために、自分の好きなものや嫌いなもの、外見や内面などをアピールする。つまり、自分らしさをアピールする。そしてすぐにその自分らしさが陳腐なものだと知る。世の中には、自分と同じような人間が山ほどいる。それを幸運と捉えるか不運と捉えるかは人それぞれだが、少なくとも自分がありふれた人間である事は、この旅に出ていなかったら気づかなかった。狭い世界と広い世界、どちらで生きるのが幸福かは分からない。

SNSという世界には、沢山の人がいる。自分の思想を他人に無理矢理押し付けて、受け入れられなかったら鬼のように怒り狂う人。顔も知らない、性別すら確定していない人間と恋人のような関係になれる人。権力者に対して屁理屈をこねて文句を押し付け、人として勝ったつもりになる人。狂った人間ばかりいる。果たしてこれらの人々は本当に現実世界で実態を持って存在しているのだろうか?信じがたいにも程がある。
直接的に狂っている人間はまだマシだ。無視をすれば良いし、そもそも関わろうとしなければ良い。より厄介なのは、間接的に狂っている人間だ。自分にはこんなに友達がいる、人生が充実していると写真をあげ続ける人間。愛し愛されているよと恋人と記念日を祝いあう人間。高尚な芸術的感性を持っているとでも言いたげな、音楽や美術館のストーリーをこれ見よがしに見せつける人間。多くの場合これらの人間は無視しようと思ってもできず、関わり続けざるを得ない。そして我々は無意識のうちに、彼らと自分自身を比べ、劣等感を感じている。あるいは、充実しない自分を正当化するために彼らを貶す。そうして負けじと、自分の人生は幸福に満ち溢れていると誇示するために偽りの日常を晒し上げる。どうやらこれが史上初めての永久機関というものらしい。

SNSをやめたい。

本当にやめたい

しかしそう簡単にはやめられない。

それがSNSであり、それが我々の世代に課せられた呪いである。

この呪いを解くには、本当の意味での自分らしさを見つけるしか道はない。

ストーリーは作り上げるものではない。あなたという人間そのものがストーリーである。あとは気づくかどうかの問題だけだ。

ということで皆さんも

ネットで知り合った奴と会うのだけはやめましょう

~*この物語はフィクションです~


文:野田超異常



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