#3 宮古市〜普代村 20200716
前回の釜石からちょうど一ヶ月ぶりの三陸ツアー。
主目的はずっと行きたかった宮古市の浄土ヶ浜と田野畑村の北山崎、共に三陸エリア及び東北でも屈指の景勝地とされるスポットである。その2地点を南北端の始点・終点として、間にある観光地をいくつか回ってきた。
往路は秋田市から仙北市・盛岡を経由してほぼ真っ直ぐ東に向かうルートを行く。ちょうど秋田・岩手間の県境に当たる仙岩峠からの景色はなかなかのもので、今まで盛岡方面にはほとんど行く事が無かったので新鮮な気分で運転できた。
ただ、トンネルが多くて鬱蒼とした道が多いから、悪くは無いんだけどそこまで爽快なドライビングコースでは無かったかな…。考えてみれば奥羽山脈ブチ抜いて行くワケなのでそりゃそうなのだけれど。
秋田市から自然を求めて行く先への道中は、どこに行くにも基本的に山を越えるかカスることになり、その道々の傍らには必ずと言ってイイほど川が流れている。それは川に沿って道を作るからなのだろうけれど、それでもエリアごとで全く雰囲気が変わって来るから面白い。視界に入る風景の構成要素が「森、道、川」のみであることはどこも変わらないのに、である。
(大人気シャレオツフェス「森、道、市場」にかけてます)
感覚的に秋田から盛岡までは近いものの、そこからが妙に遠く、最初に「宮古市」の表示を観測してから東海岸へ辿り着くまでに随分掛かった。宮古市広すぎんか?と思っていたら、俗に言う平成の大合併で、その緯度帯における岩手県中央部から東側はまるっと宮古市になっていたらしい。
田舎道ドライブでは道中で見た地名や気になるスポットを調べるのが好きで、今回気になったのは宮古市に入った辺りで目にした「川井村」という地名。おそらく現在は地政上使われていないであろうその地名になぜか探究心をくすぐられググってみると、
昭和63年(1988年)12月27日 - 川井村江繋タイマグラ地区(当時2世帯3人が居住。うち1世帯1人は同年夏の転入者)に、日本国内で最後に電気が通じる[1]。
と言う衝撃的な一文がWikipediaの沿革に載っていてシビれた。それと、どうやらこの地では10年以上前に物騒な事件が起きており、不可解な顛末に疑念を抱き真相を追い続けたジャーナリストが…というミステリーさながらの出来事も起きているらしい。故人に敬意を。
浄土ヶ浜
想像以上に長く続く山道をひたすら進み、道沿いの川も広がって行く頃には潮の香りが鼻をつき始める。
到着。
第一の目的地である浄土ヶ浜では、駐車場が3箇所あり浜のそばに停めることも出来たけれど、海沿いの遊歩道も歩きたかったので浜からは少し離れた浄土ヶ浜ビジターセンターに停めて現地まで歩くことにした。
既に壮観たる三陸海岸の景色が眼前に広がり、そう強くないこの日の風力に対して、岸を打つ波は時折目線の高さまで水しぶきを上げる。
迫力を感じながら歩を進め、遂に目的の浄土ヶ浜に到着。
快晴を願うも曇天となったこの日の天候も、案外悪くはなかったのかもしれない。「浄土ヶ浜」とはよくぞ言ったもので、まさに明鏡止水の世界がそこには広がっていた(普通に波立ってたから止水ではないんだけど)。そういう意味ではむしろココを訪れるのにベストなタイミングは曇りの日なのかもしれない。
あとウミネコがめちゃくちゃいて可愛かった。近づくとキューキュー言って飛んで逃げるのでさみしい。
浜のそばには綺麗なレストハウスがある。ココも津波で大きく損壊したようで、津波の到達ラインが二階天井の高さに引かれていた。
こうして念願の浄土ヶ浜をようやく見れたワケだけれど、正直個人的には期待値が大きすぎた感はあったかも。ネットで見られる写真はどれも上空からのアングルであまりにも綺麗に撮れているモノばかりだから、実際に現地に立った時に同じだけのインパクトを得られるかは人によると思う。
そのロケーションを構成する海から突き出た岩の数々との距離は結構近く、浜もコンパクトなのであまり奥行きのある景観ではないと感じた。決してネガキャンしたいわけではなく率直な感想として。
ただ本当に美しい場所であることは間違い無く、来訪圏内にいるのであれば一度は来た方がイイ場所だと思う。
遊覧船の受付もある浄土ヶ浜ビジターセンターは、無料で入れる資料館としては三陸の地質や生態に関する展示がかなり豊富にあってなかなか面白かった。建物も綺麗で、手作りの資料ポスターが貼り出された踊り場なんかはまんま通っていた小学校そっくりの雰囲気で、謎のエモさがあった。
美しき浄土ヶ浜に
亡き妻も子も来て遊べ
春雨の降る
宮城県栗原市出身の詩人 白鳥省吾が残した句が胸を打つ。
震災メモリアルパーク中の浜
浄土ヶ浜から少し北上したところに、震災の脅威を生々しく伝える震災遺構がある。
かつて素晴らしいロケーションに賑わったであろうこの海を臨むキャンプ場は、津波の直撃を免れようも無く、無慈悲な破壊を受けたままの無残な姿を遺している。
着いてすぐに目に入るこの施設入り口の石碑を見て、「これが津波の威力か…」と息を飲んだ0.5秒後に「いやコレは震災後に出来たやつやん…」と気付く。おそらく昨年甚大な被害をもたらした台風19号によるものと考えられ、海に流れる沢沿いのコンクリ岸ごと崩落していて普通に怖い。
遺構として残ったのは御手洗いと炊事棟。特に御手洗いの方は視覚的にもうおどろおどろしくて、遠目にその存在を確認した瞬間からゾッとするものがあった。炊事棟のねじ曲げられた鉄筋も津波の威力を物語っている。
公園の奥に建つ「展望の丘」の上には、津波の到達点を示すラインが引かれたボードがありその高さを感じることが出来た。
震災遺構 たろう観光ホテル
中の浜から更に北へ進んだ田老(たろう)という地域にも、被災当時の姿をそのままに遺した震災遺構がある。
二階部分までを柱だけ残して綺麗に流出しており、こうもゴッソリと持っていかれるものかと驚いた。ガイド申し込んで中に入ることも出来るみたい。なんか語弊あるかもしれんけど、間近で見るとなかなかの迫力である。
三王岩
たろう観光ホテルのすぐ近くの海岸には、数ある三陸海岸の奇岩の中でも最大の三王岩というめちゃくちゃデカイ岩がある。
展望台もあり、すぐ近くまで降りることも出来る贅沢なスポット。左から女岩・男岩・太鼓岩と3つの巨岩が並んでいて、真ん中の男岩は50mもの高さを誇る。良い写真が撮れなくて迫力が伝わらないのが悔しいのだけれど、高さ50mって相当なもんよ!?
それと、本当はここから海沿いの自然歩道で浪打崎というすぐ近くの景勝地にも行けたのだけれど、ココでも台風19号のせいで道が崩落していて行けなかった。残念。
北山崎
更に北上し宮古市を抜けて到達する田野畑村という村の沿岸に、三陸エリアのラスボス的景勝地である(と勝手に思ってる)北山崎がある。
駐車場からすぐのところで食堂・宿が4,5軒ほど建ち並んでおり、この観光地に対する力の入れようが伝わってくる。この時はうち一軒だけが営業中で、そこはつい最近放送していた旅サラダでyouとずん飯尾が訪れていた店だった。
海に向かって進むと、展望台に向かう整備された遊歩道が続く。鳥の鳴き声と自分の足音だけが響き、空気が変わったのがハッキリと分かる。
流石に凄かった。青空をバックにしたこの絶景も観たかったけれど、壮大な太平洋を前にした圧倒的な静寂には、浄土ヶ浜同様に曇天の霧がかった断崖こそが情景として映えるのかもしれない。
ひとしきり絶景を堪能したあと、下まで降りられるみたいだったので大喜びで階段を駆け下りた。510段がナンボのもんやねんと息巻いたものの、この時はまだ後に訪れる地獄を知る由もなかった。
波打ち際まで降りる途中で、第二展望台とやらにも行けるようだったので寄り道。この展望台の先にある陸地はもう北だか南だかのアメリカ大陸になるんだと思うと壮大なロマンを感じる。世はまさに、大海賊時代!
第二展望台からの景観は、第一展望台よりも少し下がったアングルからとなり、より奥行きと立体感が感じられる。木々の間を覗く形になることを差し引いても、個人的にはコッチからの景観の方が好きかもしれない。
ココでもしばらく風景をボンヤリと眺めてから、波打ち際まで再出発。
急な斜面と幅が狭く整備されきっていない階段は降りるだけでも神経を使い脚の疲労が既にヤバい。
そうして辿り着いた「波打ち際」では、目の前に迫るデカい奇岩と入り組んだ地形が生む高波がかなりのド迫力で、天候次第では相当危険な場所になると思う。
そしてこの鬼の滝ウォッチャーの耳は、うねる高波の轟音を縫って聴こえるあの音を逃さない。心躍らせ音鳴る方へ向かうと、これまで観たことがない「海に落ちる滝」があった。
近くまでは行けなかったので迫力を感じることはなかったけれど、事前調査ではどこにも情報が無かった隠れた滝を見つけられてちょっとした感動。
滝の落ち口までも行けそうだったけれど、というか元々行けたのだろうけれど、道がこんな具合で危険を感じたので諦めた。
貴重な光景に満足しつつ、高さ200mの断崖を前に心を無にして階段を登る。激しい運動から遠ざかっているこの身にはかなりの苦行で、ようやく上まで登った時には滝のような大汗に鼓動はLove so sweet(その心はBPM140)、久しいこの感覚に、よく云う「心臓破り」の形容をコレか…と実感する。
ヘトヘトになりながらもう一度あの絶景を目に焼き付け、達成感なのか疲労感なのかわからない感覚のなか、北山崎を後にした。
黒崎〜ネダリ浜
北山崎がある田野畑村の北側に隣接する普代村へ入り、この日の景勝地巡りとしては最後の目的地である黒崎へ。
まあ北山崎の後だからアレだけど、ココもココでなかなか良い景観だった。静かだし、風も気持ち良くて、疲れた身体で訪れた最後の地点としては丁度よかった。
これで終わりかな…と展望台を後にして最後に付近を散策していると、何やら物見櫓があり、何かを感じてその裏を覗いてみると
階段があった。
コレを見つけてしまうともう後戻りなんぞ出来るわけが無い。北山崎に削られたガクガクの脚を引きずり舌打ちしながら階段を下る。
北山崎の階段なんぞよりも明らかに整備の行き届いていない苔むした階段に、崩落仕掛けた崖沿いの小橋、人の足跡が感じられない道なき道をヤケクソで進む。
周囲は完全に森である。途中、すぐ近くでガサっと不穏な音を耳にし反射的に振り向くと、タヌキだかテンだか、とにかくそれ系の動物が一匹、山の斜面を駆けて行った。もはや熊でも馬でも何でも来いと云う気分になる。
ようやく視界が開けてきて、これから降り立つ浜が木々の間から覗く。その開放感に安堵しつつ斜面道を抜けると、予想だにしない衝撃的な光景が広がっていた。
浜までの車道がとんでもないことに。
後で調べたところ震災の影響ではないようだったので、コレもおそらく台風による被害と思われる。そこまで地盤が緩んでたってこと?台風でこんなんなることある?
こんな状態の舗装道は初めて見たので、何に対してのそれかは分からないけれど、ともかく得体の知れない恐怖を感じた。
そうして辿り着いたのは、ネダリ浜と云うこじんまりとしたビーチだった。そのコンパクト感に加えてポツンと浮かぶ小島がイイ味出してる。みちのく潮騒トレイルのコースとして人気のあるスポットらしい。
で、それ以上何があるわけでもないのですぐに引き返しすことに。この写真でいう奥の方にも道があるようだったので、また階段を登るのが嫌すぎてその道を行けないかマップで見てみたら、そっちはそっちで明らかにヤバい峠道のようだったので諦めて同じ道を戻った。
無駄な探究心のせいで二度も同じ過ちを繰り返し完全に疲労困憊である。
普代村〜帰路
目的地を全て回りきり、最後に普代村の雰囲気を少しでも見てみようと思い、普代駅に向かってみた。
「普代村」と云う、なんだかトリックとかそれ系の秘境を舞台にした映画にでも出てきそうな字面の地名に、何より村として謳う「青の国」に惹かれて立ち寄ってみたものの、特にそれを感じられるものは無く…。
昆布の名産地らしく、せめてそれっぽい物でも食べて帰るかと駅舎内のアンテナショップにあるらしい「こんぶソフト」を頼もうかと思いきや機械のメンテナンス中だとかで結局食えず仕舞い。なんだそりゃと思いつつ他に見るものも無く、アッサリと普代村を後にした。まあ落ち着いた田舎町で、イイところではあったと思う。
帰り道は岩泉を経由し、盛岡以降は往路と同じルートを走った。普代〜岩泉に掛けての道中、突然霧が深くなって、酷いと20メートル先も見えないくらいのところがあった。ヤマセのせいなのか分からないけれど、確かにTシャツ一枚だと寒いくらいだったので、もしかしたらそうだったのかも知れない。
普通に危ない。
あと岩泉では有名な龍泉洞の前を通った。めちゃくちゃ気合の入った門構えで、観光地として相当力を入れてるのが分かる。ココにもそのうち行きたいな。
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何度も書いたように浄土ヶ浜はずっと行きたかったところで、ようやく行くことが出来たのが何より嬉しいし、北山崎は浄土ヶ浜よりも後に知ったけれど、ココも絶対に行きたかったところだったから一気に回れて達成感が凄い。
行った先ではせっかくだから食も楽しみたい派ではあるのだけれど、三陸グルメとして唯一思い付く海鮮系ってのがあまり好きじゃないから、今回思い切って食の楽しみは捨てて景勝地巡りの効率化に全振りした。その結果、気付くと昼頃に運転しながら齧ったパンとファミチキだけでこのハードな一日を乗り切っていた。(なぜかあまり空腹にはならなかった)
あと釜石ほどじゃないけれど、やっぱり津波浸水区域を示す標識なんかは至る所にあって、当然ながら被災地であることを強く実感した。釜石の時と同じように、真新しい建物ばかりがポツポツと並ぶエリアを見つけては、そこが海に近いことに気付いて、ああ…と察する瞬間があった。
ただ釜石は本当に港町!って感じだったのに対して、綺麗な海のイメージが強い宮古市はうねりもアップダウンも激しめな山道だらけで、海よりむしろ山を味わう時間の方が長かったくらい。
同じ三陸エリアでもココまで雰囲気が違うのかと、実際に現場に行って初めて気付くこともあって面白かった。
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ってことで、小旅行先としては第一第二希望だった場所に行ってしまったので、ちょっと燃え尽きた感があるのだけれど、岩手は内陸も含めてまだまだ行きたいところが沢山あるから、早速次はどこに行こうかと考えているところ!一番遠いところを回り切ったので次からはだいぶ楽になるな…
以上!