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ごめんねに致死量があるあゝきみはシャボン玉液飲み干している

ごめんねに致死量がある
あゝきみはシャボン玉液飲み干している

ごめんねに致死量があるとしたらそれはシャボン玉液ほどの濃度とおもちゃのピンクの容器程だ。

シャボン玉は海に似ている。
うつくしいのに、やたらと皮膚にベタついて見るだけの方がずっと良い。弾ける音も人魚なら泡になる時に聞いたであろう。ひとつふたつと消えていくアイデンティティも同じようなものである、と思う。であれば、日々の泡と題したボリス・ヴィアンはクロエの死を泡と唱えたのだろうか。
人は水で保たれているが息絶える時のプシュケが膨らむとその泡が残り、すぐに消えてしまうということだろう。

良く、ごめんねと言い過ぎて怒られていた。
お前の謝罪の価値は薄いと何度も、何に謝っていいか分からずごめんねなのだ。謝って小さな額を床につけたならそれで気が済んだ父に「ごめんねの致死量」はなかったのか。いや、もう既に私は死んでいて、ごめんねという言霊だけを纏う亡霊、あるいは妖のようなものか。あまり乱用すれば罪悪感を相互に植え付け毒されてしまう薬のようなものか。ありがとうとごめんなさいはきっと対義語ではないのだろう。

君は、いつだったかシャボン玉を飲み干した。
私は止めなかった、幼い時薄いブルーの色水を飲んだことがある。真珠やビーズを飲んだ、きらめきが美しかったからだ。
それから暫く咳こんで、君は言葉を話す度に唾液混じりのシャボン玉がぽとり、ぽとりと重力に負けて滴る。この人は優しく、か弱く、儚いというにはあまりに浅はかだ。

弾ける泡の音を君が知らぬ場所で聞いた。
とても悲しい、ちいさな事件。

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