音楽の完結
音楽がすごく好きだった。
小学校を卒業するくらいまでは
親が車で流していた音楽を聴いていた。
当時の流行りも多少あるだろうが
親はそこそこセンスが良かったと思う。
今もたまに聴いたりする。
中学に入ってからはYouTubeで
どの曲が自分に刺さるかディグっていた。
自己分析と自己主張。
名刺のような音楽を探していた。
高校ではもっと深く、深く潜っていった。
身近では誰も知らないような良いバンドを知りたかった。
自分の好きな音楽に出会えるのが嬉しかったし
探さないと出会わないような音楽に触れるのは
良い経験だった。
思春期。自己と他を区別したがる時期、
自分の好きを知ることで
自他の境界を引いていたのかもしれない。
よく言われていた(今は知らんが)
「14歳で出会った音楽は一生聴く」論の
答え合わせを楽しみにどうにか生きた。
つらいことは多く訪れたが
その度に音楽を聴いた。ギリギリ生きた。
マジでギリ。
一生の定義にはまだまだ足りないかもしれないが
14の私から15年が経った。
今も聴いているバンドはいくつかある。
が、14歳ではまだ名刺になるバンドはいなかった。
19〜20歳の頃だったと思う。
友達に教えられた爆弾ジョニーにぶん殴られた。
聴き漁った。全曲好きだった。
ああ、探してきた音楽はこれだ。
当たり前のように、
全部が全部良くて衝撃を受けた。
いつしか私の中での「音楽」とは
りょーめーだったのだと思う。
私は、きっと、いつになっても
新居延遼明が創ったものが大好きだ。
ありがとう、私に音楽を与えてくれて。
私に彼以上の音楽は今後現れないだろう。
どうか、歌い続けてほしかった。
才能もセンスも魅力もある。
埋もれてしまうにはあまりにも惜しい。
音楽が好きだった私の音楽は完結した。
いつまでもこの感情を、音楽を、
失くさないように、忘れないように。
ずっと大切にしていきたい。
ねえ、必ず幸せに。
バカな振りして死ぬまで生きてよ。