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祖母が亡くなった話
祖母が亡くなったらしい。
出勤しようとおもってコートを羽織った瞬間、母からライン電話が鳴った。
普段通話をしあう中ではないかつこんな朝早くから連絡が来るなんていい話ではないことは容易に想像できた。
案の定、その話を聞く連絡だった。
祖母と私の思い出
祖母は私が小学生の頃特にお世話になっていた。
小学校低学年の頃、共働きの両親の代わりにご飯を作ってくれたり面倒を見てくれたりした。
両親に会いたくて、かまって欲しかったのにおばあちゃんしかいなかったのが自分の中で腑に落ちなくて、悲しくて、そんな感情をぶつける先がなく何も悪くないおばあちゃんに当たってしまったことが多く今思うと本当に申し訳ないことをしてしまったなと思う。
(ただ当時の自分は感情の制御が乏しくそこまでの気遣いまで考えられなかった)
そんな関係ではあったものの、おばあちゃんの作る料理はとっても大好きで、特に高野豆腐はお母さんが作るものよりも美味しかったというのを鮮明に覚えている。
あとは戦争についていろいろ教えてくれたことが印象深い。
祖母は被爆者だった。正確にいうと、ちょうど原爆が落とされた頃はその街におらず死に至ることはなかったが祖母の両親を探すために被爆地へいったところ放射線を浴び、被曝してしまったようだ。
この話を聞いたのは確か小学一年生の夏くらいだったかと思う。
きのこ雲が表紙に描かれたパンフレットを見せてくれ、戦争の悲惨さ・苦しさ・二度と繰り返してはいけないということを何度も教えてくれた。そのせいか、学生の頃に戦争について学ぶときにはある程度のことは知っていたし、今でも戦争にまつわることに関して目を向けるよな意識が根付いている。それは幼少期から祖母がしっかりと私に継承してくれたからであろう。
こう振り返ると本当に色々な思い出があるなと泣きそうになってきた。
山道を登って野草を一緒に食べたこと、近くのスーパーまで一緒に行ってお買い物をしたこと、おやつの時間には必ず何かを用意してくれて美味しいものを食べさせてくれたこと、春には近所の方にお願いをして一緒にたけのこ堀りをしたこと。
今思い出すだけでもこれだけのことが出てくるのだ。それだけ一緒の時を過ごし、いろんなことをしてきたんだな。
最後に会った日
「祖母の先が長くないこと」は少し前から言われていた。
なので私が実家へ帰省したときには母に連れられて祖母がいる施設に顔を出していた。
最後に会ったのは9月だと思う。
その時はいつもはベッドで寝ているところ声をかけるスタイルだったのだが、たまたまご飯中だかで車椅子に座っているときに話すことができた。
久しぶりに目線を合わせて少し話をした。「成長した」「綺麗になった」ととにかく褒めてくれ、最後に握手をしてくれた。握力はあまりなかったが、おそらくあの年齢・体調を加味すると力強く、何かを訴えかけるような握手だった。
今思うと、あの時が最期ということもあり、神様が何かチャンスをくれたのかなとも思えてしまうような瞬間だった。あの日は今でも忘れられない思い出だ。
祖母を失った母について
通夜・葬儀を今週に控えているため、まだ私は実感が湧いていない。
しかし母は違うだろう。
毎週、祖母が気に入っているお菓子を持って顔を出していたのだ。かつ母の母の立ち位置の人間が亡くなったのだ悲しくないわけがないだろう。
すでに母の父は亡くなっている。母からしたら自分の味方である大人がこの世からはいなくなってしまったと考えると心身参っている部分が大きそうだ。
おまけに父は最近年齢のせいか、頑固さが増しており母も疲弊していそうなのが伺えるため「心の拠り所が今母にはないのではないのか」と危惧している。
祖母が亡くなったことを通話で聞いた時も疲れ切った声をしていた。
きっと母は私の前で思いっきり弱音をはくことはしなさそうだが、せめて葬式の時はそんな感情を無視して自分の感情のまま表現してほしいなと思う。
祖母と母は聞いている限り“良好な関係性”と言えるわけではない印象だが、少なからず母も祖母のことは大好きだったと思うし、そんな祖母ももちろん母のことを愛していただろう。
私にできることは少ないと思うが何か母が安心できる材料を提供できるように
今後は“実家”により目を向けていかないといけないなと感じた。
家族が亡くなること
葬式に参加するたびに「いつか私の父母・兄も亡くなるんだな」と当たり前のことが脳裏に過ぎる。
私は今実家からだいぶ離れた場所に住んでおり、将来的にも実家に戻ることは考えていないのだが介護とか父母・兄の最期はどのように看取ることができるんだろうと考える。
本当に実家付近に住みたいとは思わないのだが、これらを経験すると揺らぐ自分はいる。
私と同様の過ごし方をしている人生の先輩方は多いだろうからその人たちの経験談を聞いてみたいと強く思う。
最後に私が思うこと
今週の祖母との本当の最期でどんなことを思うのか、想像がつかない。
ただ、今までこんなに私の人生に携わってくれた人の1人だ。
天国でのびのびと駆け回ってくれているといいな。
小学生の時にお別れしてしまった家族と会っているのかな。
煙たがっていた祖父と久しぶりに会って一緒にご飯を食べているのかな。
そんな祖母にとって“待ち望んでいるのかもしれなかった”ことをしているのかもしれないと思うと“死”というものは悪いものだけではないのかもしれないと少しだけ前向きになれるような気がした。