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百寺巡礼(022)知恩院 京都 2022年8月27日

冬の京都。冷えた風が古都を包み込み、街角には人々の足音が響いていた。コロナ禍の最中、ひとときの静けさが広がるこの時期、私は知恩院を訪れていた。浄土宗の総本山、知恩院は、我が家の菩提寺の大元でもあり、私にとって何かと縁深い場所である。

知恩院の本堂に足を踏み入れると、その広さと荘厳さに圧倒される。重厚な梁が支える天井、そして壁に施された意匠が、まるで我が家の菩提寺のそれと重なるかのように感じられた。しかし、こちらはその規模が異なる。本堂の前に立つと、普段は気づかない小さな違いに心が引き寄せられる。

この京都旅は、コロナ禍という閉塞的な時代の中で訪れた、いわばひとときの安らぎであった。五つ星ホテルが三千円で泊まれるという奇跡のような日々。さらに、三千円分のクーポンまで配布され、まるで無料で旅をしているかのような感覚を味わった。かつてないほどの贅沢が、今、目の前に広がっていた。

五木寛之の言葉を思い出す。「法然によって易行念仏が提唱された。親鸞は、法然の念仏をより”深く”発展させていった。さらに、その後、蓮如が現れ、より多くの人びとに”広く”伝えて行く。この念仏の歴史というものは、日本人のこころの中に、深く、広く、根強く、地下水脈のようにいまも生き続けている。」

その言葉の通り、知恩院に足を運ぶたび、私の心にはしみ込むように念仏の教えが響く。法然、親鸞、そして蓮如。彼らが紡いできた念仏の精神は、今もこうして京都の空気に漂い、私たちの心を洗う。深く、広く、そして根強く。地下水脈のように、見えないところで私たちの命と繋がり続けているのだ。

本堂でひとしきり静寂を感じ、私はゆっくりと歩き出す。知恩院の境内は、ただの寺院ではない。そこには、過去と現在、そして未来が交差する場所であり、仏の教えが今もなお生き続けていることを感じさせてくれる。

京都の冬の風が肌に冷たく染みる。しかし、心の中には温かな光が灯っている。知恩院の鐘の音が、私の心に深く響き渡るのを感じながら、この地を後にした。


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