見出し画像

百寺巡礼(031)相国寺     2022年10月23日

それは秋の風が冷ややかに頬を撫でる日だった。2022年10月23日、私は相国寺の門前に再び立っていた。この寺を訪れるのは二度目のことだったが、その理由は一つ。初めての訪問時、本堂は法要のため拝観が叶わず、御朱印だけを頂いて立ち去らざるを得なかった。未完の巡礼に胸の内に小さな棘のような違和感を残したまま。

相国寺は、同志社大学のすぐ隣にある。若き学生たちの息吹が交錯する街の中で、古の気配を纏ったその大伽藍は、時代を超えた静謐をたたえている。その佇まいの背後には、あの金閣寺の影があるという話を聞き、私はふと足を止めた。

金閣寺は相国寺の塔頭、すなわち別院である。正式には「鹿苑寺」と称されるが、黄金の舎利殿「金閣」の名があまりにも知られているため、その名で呼ばれることが常だ。輝きを放つその姿が多くの人々の目を奪うが、相国寺の深い静けさは、それとはまた異なる力で人を魅了する。

五木寛之はこう語る。
「最高権力者であった義満だが、その心には暗愁が巣食っていたのかもしれない。そしてその暗愁の救いを禅という世界に求め、相国寺に大伽藍を建設したのではあるまいか。」

義満は黄金の輝きの裏に何を見たのだろうか。すべてを手にした男が、なおも救いを求めた先にあったのは、禅の世界だった。無常の世に抗うことなく、ただ在ることを受け入れる心。その教えに触れることで、彼は一瞬でも心の静寂を手にすることができたのだろうか。

静寂に包まれた相国寺の庭に立ちながら、私は義満の面影を追うように、その時代の気配を胸の内で描いた。誰もが巡礼の途上で出会う寺。それぞれの巡礼の物語が、相国寺の静けさの中にまた一つ紡がれていく。

追伸:
金閣寺の正式名称は「鹿苑寺」。相国寺の塔頭であり、その象徴的な「金閣」がゆえに人々の記憶に深く刻まれている。だが、静けさを求めるならば、本寺の相国寺へ足を運んでみるのも一興である。


いいなと思ったら応援しよう!