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百寺巡礼(026)三千院 京都 2022年8月29日

京都での再会。。。

人の生涯は、一つの巡礼かもしれない。
2025年、私は百寺巡礼の満願成就を目指し、最後の旅路を歩んでいた。その道中、ふと心に浮かぶのは、かつての出会いや別れ、そして巡礼という言葉が結びつけた縁だった。

そのひとつが、タイから来た友人との再会である。彼とはかつて仕事を通じて出会い、その後もLINEで頻繁に連絡を続けていた。しかし、実際に顔を合わせるのは何年ぶりだろうか。その彼が、私が巡礼の途上にいると知り、わざわざ日本を訪れ、京都で合流してくれたのだ。

彼は穏やかな微笑みと共にこう言った。「日本の寺院を歩くあなたの姿が、私に勇気をくれる」。タイ仏教の信仰を持つ彼にとっても、寺院巡りは特別な意味を持っていたようだ。私たちは清水寺を共に訪れ、その静けさと厳かさに息を呑んだ。

「旅は一人でもできる。でも、誰かと共にする旅はまた違う」と私はそのとき感じた。彼と分かち合った沈黙の時間、寺院の中庭で飲んだ一杯の温かいお茶。そのひとときが、私の巡礼の記憶をさらに深いものにした。

百寺巡礼を通じて出会った無数の人々や場所。それは単なる記録ではなく、生きている証そのものだ。タイの友人との再会は、私に巡礼とは何かを改めて教えてくれた。

そして私は思う。寺院を巡るという行為は、ただ仏を拝むだけではなく、自らの過去や人との縁を振り返り、未来への道標を見つけることなのだと。

この旅は、2025年春、高野山の金剛峯寺で幕を閉じる。その瞬間、私は何を思うのだろうか。それはまだわからない。ただ、巡礼の道中で出会ったすべてが、私の中で静かに息づいている。それが、私の旅の答えなのかも


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