見出し画像

百寺巡礼(025)永観堂 京都 2022年8月28日

「永観さん」と、京都の人々が親しみを込めて呼ぶ名刹。訪れたその日は真夏の蒼々とした空の下、紅葉にはまだ早い季節だった。それでも、永観堂の境内に足を踏み入れると、木々の静けさに包まれる。この地を彩る紅葉が、秋にはどれほど見事な姿を見せるのか、その予感だけで胸が高鳴った。次回はぜひ、その季節に訪れたい――そんな想いが心の奥底に刻まれた。

境内を歩きながら、ふと五木寛之の言葉が蘇る。「諸行無常という仏教のこころというものは、このもみじのなかにも表れているのではあるまいか。」

もみじの葉が紅く色づき、やがて散りゆく姿。それは人の生と死を映し出すかのようだ。無常を説く仏教の教えが、この自然の営みに象徴されているのだろう。そして、その紅葉を愛でる人々の心の中にも、無意識のうちに無常を受け入れる感覚が潜んでいる――そう五木は書いた。

永観堂を歩いて感じたのは、ただ美しさだけではない。この地には、法然の影響力と、縁なき衆生を救おうとする仏教の広大な包容力が満ちている。阿弥陀如来像の穏やかな微笑みが、すべての来訪者を受け入れているようだった。

人の世もまた、もみじの葉のように色づき、そして散りゆく。だが、それを嘆く必要はない。永観堂の静けさは、移ろいゆくものの中にこそ美しさがあり、意味があることを教えてくれる。秋の紅葉の季節に、再びこの地を訪れる日を、私は静かに楽しみにしている。


いいなと思ったら応援しよう!