百寺巡礼(033) 善通寺 香川 2023年1月14日
香川の夜空に咲くはずだった大輪の花火は、あいにくの天候に打ち消され、私の胸にも消えぬ失意を残した。2023年1月14日、翌朝の私はその気持ちを引きずりながら善通寺の門前に立っていた。しかし、この巡礼の地が持つ静謐な力は、そんな私の心を穏やかに解きほぐしていくようだった。
善通寺――その名の通り、この町全体が弘法大師の存在を宿す地である。空海が生まれたこの場所には、彼の足跡がしっかりと刻まれている。香川県善通寺市。この市名そのものが、空海の生涯を象徴する寺の存在を物語っていた。
この寺は、弘仁四年(813年)、唐から帰国した空海が自らの生誕の地に建立したものだという。高野山、東寺と並び称される「弘法大師三大霊跡」の一つとして、その名は四国八十八ヶ所巡礼の第七十五番札所にも刻まれている。
門をくぐると、静けさが私を包んだ。堂々たる伽藍が並ぶその風景は、時を越え、空海の精神そのものが息づいているようだった。日本仏教の革新者であり、真言宗の開祖である空海は、平安時代の仏教界に新たな風を吹き込んだ。その深い知性と、広大な思想の影響は、今もなおこの地に漂っている。
五木寛之がこう語ったならば、きっとこう言うだろう。
「唐の大地を踏みしめた空海は、異国の知恵を己に宿し、この地に新たな光を灯した。その光は、ただの仏教の教えに留まらず、人々の心の暗愁を照らすものだったのだ。」
善通寺を歩きながら、私は空海という人物の偉大さと、その人間的な柔和さを同時に感じていた。寺の堂宇は威圧的なほどの壮大さを持ちながらも、その一方で訪れる者を優しく迎える空気を持っている。それは、きっと空海自身が持っていた「寛容」の精神そのものなのだろう。
そして、前夜の花火大会での落胆は、この地で完全に癒された。空を彩る花火は確かに美しいが、ここ善通寺の静寂に身を置けば、心に宿る光が見つかる。花火のような一瞬の煌めきではなく、消えない光が。
失意を胸に歩み始めた善通寺の巡礼。その終わりには、心の中に小さな灯がともっていた。そして私は、こう確信した。空海がこの地で伝えたかったのは、ただ一つの教えではない。失意も悲しみも抱えながら、それを受け入れ、一歩前に進む力。それこそが、巡礼がもたらす救いなのだと。