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百寺巡礼 (032)西明寺       2022年11月19日

秋の滋賀。
琵琶湖の東に位置する湖東三山が、紅葉の最盛期を迎えていた。2022年11月19日、その日は紅葉が燃えるように輝く特別な週末だった。

ネットで調べると、この時期限定で、彦根駅から湖東三山を巡るシャトルバスが運行されることを知った。百寺巡礼を進める私にとって、それは絶好の機会だった。早朝の冷えた空気の中、バスに乗り込む。紅葉に彩られた寺々への旅は、期待とともに静かな高揚感を胸に秘めたものだった。

最初に訪れたのは西明寺。天台宗の寺であるが、門をくぐるとどこか異質な気配を感じた。その理由は、本堂に祀られている親鸞の像にあった。天台宗の寺に、浄土真宗の宗祖である親鸞の像が祀られているという事実に、私は思わず足を止めた。

五木寛之の言葉が脳裏をよぎる。
「ここ西明寺は天台宗のお寺、なのに浄土真宗の宗祖、親鸞の像が祀られている。そこにトレランス(寛容)を感じる。今、大事なのは、トレランスという思想ではないか。」

宗派を越えて人々を迎える寛容。その精神が、この寺に静かに息づいているのだろう。多様な思想が一つの場で共存する美しさ。それは、私たちが日々求めながらも、どこか遠ざけてしまっているものかもしれない。

西明寺で心を浄められた私は次なる目的地、金剛輪寺へと向かった。しかし、ここで思わぬ出来事が私を待ち受けていた。百済寺行きのバスに乗り遅れるという、巡礼者にとっては痛恨のミス。百寺巡礼のリストに名を刻むはずだった百済寺が、この日拝観できないまま終わってしまったのだ。

「トホホ」と呟きながらも、私はこの未達成を前向きに捉えることにした。巡礼とは、時に未完成であるからこそ意味を持つのかもしれない。今年の紅葉シーズン、百済寺を再び訪れ、その静寂に身を委ねる日を心に誓った。

琵琶湖の風が、頬を撫でる。秋の日暮れ、湖東三山を後にする私は、未完の巡礼を胸に秘めながら、それでもどこか満たされた思いで帰路についた。

追伸:
宗派や思想を超えた「寛容」という教え。それが私たちに必要な光ではないかと、西明寺の紅葉に染まる境内で静かに思った。百寺巡礼 滋賀 湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)


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