「お客様を喜ばせる」という表現の違和感について
先日、「お客様を喜ばせたいんで!」って言っていた人がいて、それがどうにもこうにも違和感を感じて、ずっと引っかかっていたんですが、今日やっとなぜ違和感を感じたのかわかりました。
ビジネスって、お金を払うお客さんを「満足させる」ことなんじゃないかなって思ったからです。
というのも、お金を払う=ある一定の期待値があり、その期待に応える形でビジネスが成り立つものだとおもいます。
だから、「期待に応える」「期待を超えて満足してもらう」。これが僕の考えにあるからだったんだなと。
実際、僕自身はお客様に「喜んでもらおう」って思ったことは一回もなくて、常に「期待を超え続ける、そして満足してもらう」ことを目指してアウトプットしています。
「喜ばせたい」ってよくよく考えると、喜ばせたい側のエゴの言葉だなと思っていて。そもそも相手が求めている状態かどうかを無視した表現なんですよね。「満足させたい」は相手に明確に「期待」があるから、ニーズに対してソリューションを提供し解決するという、需要と供給が成り立っているわけです。
その需給が成り立っていない感じがするから「お客様を喜ばせたい」という表現にとても違和感を感じたんだとおもいます。
「彼女を喜ばせたい」とか「友達を喜ばせたい」ならわかります。そこには明確な期待がないから(サプライズありそうって勘繰られる期待は別として)、サプライズで誕生日をお祝いしても喜ばれるんですよね。
期待のないものに対して何かを提供し、その結果喜びが生まれる。そんなイメージ。
でも、デザインの仕事で「サプライズでこんなデザイン作ってみました〜」っていったところで、「いや、なんかわかんないけど、別にそれ求めてないよね? その工数で、もっと頼んでること他にもできるでしょ」とか思われちゃうじゃないですか。
だから、ビジネス上で「お客さんを喜ばせる」という表現はどうにも合致しないんじゃないかと思ってしまったわけです。
そんな細かいこと気にする奴おるんかい、って思うかもですが、これ多分すごい重要なことです。
相手の求めていることを正確に把握して、それに対して欲しいものをサッと差し出せる力がビジネスでは重要視されるからです。
サプライズで彼女は喜ばせても、クライアントの次の発注にはつながらないんじゃないかなー。なんておもいます。