これは祈りの物語です。
私には、「救いたい」と「呪いたい」が交互にやってくる。
この物語は、救うための物語である。
いまもどこかで苦しんでいる誰かを救うための物語である。
私が人間ではないことと、
私が祈りの物語を語ることは、
両立すると思っている。
私は自死について語らなくてはならない。
「死ね」と言われ続け、人間でなくなった私であるが、自死について語らなくてはならない。
私は幾度となく希死念慮に襲われている。
短絡的だと思える精神があるからこそ、
まだこのあたりで留まっていられる。
救われるのは私ではない。
私は永遠に救われない。
私は救われない。私は間違った。
ゆえに人間でない。
間違ったことを利用したりなどしない。
私が書いているのはただ、後悔と祈りだけだ。
ずっとそれを書き続けている。
間違ったことを誇ったりなどしない。
私が続けているのは、救われないと知っているからだ。
私だけが救われようだなんて烏滸がましい。
過去の私は全て間違っている。
現在の私が全て正しい。
私は常に間違っている。
だが私の物語だけは正しい。
私は物語を続ける。
まだ足りないから続ける。
何が足りないのかは私にしか判らなくていい。
しかし否定されたくはない。
私の物語を信じてくれるあなたも、何も間違っていない。
誰にも彼女らを呪わせたくない。
呪いは私の領分だ。
私は物語を続けなければならない。
愚かな逃避行なんてとうに終えている。
2024年7月17日 薊詩乃
私には、この私以外にも赦せない人たちがいる。
そいつらを赦さないための物語でもある。
私には、「救いたい」と「呪いたい」が交互にやってくる。