行方不明。
2024年9月14日、自死についての2作品を上演する舞台『タムケ=ハナムケ』の幕が上がる。
私は、「あの日間違った全ての僕に」という物語を書いた。
「生きる」ということを考えると、寂しい気持ちになるのはなぜだろう。
哀しい事ばかりで、悲しい言葉借りて。
私はharassmentを撒き散らす人でなしで。
普通なんてどこにもなくて、正しさすらもどこにもなくて。
私はずっと間違っていて、誰かもずっと間違っていて。
でも生きている──
生きるということは、闇をさまようことである。
過去なんてどこにもなくて、でもずっと過去が続いていて、ずっと今で。
裏切られたことも、裏切ったことも、それから目を瞑ったことも、全部、過去であり現在である。
過去がなければ現在もない。どれだけ君が失望しても、どれだけ君が生まれ変わっても、君は君からは逃げられない。君の過去と現在からは逃げられないのだ。
君は絶望してしまうだろうか。
でも覚えていてほしい。
錬金術師の門を通らずともわかる事だ。
過去を知ることと、未来を知ることは同じなんだ。
そして、現在を変えられるのは、現在の自分だけ。
間違った私は正しくなれない。
しかしこれに気付けないほど悪ではない。
あの物語を届けるくらいの良心はまだ残されている。
君にも知ってほしいのだ。
自死を考えることは、生を考えることだ。
生を考えることは、自分を考えることだ。
あの物語が、君を救えるかは分からない。
君を救ってきた歌はあるだろうか?
物語が、その歌を優しく呼んでくれればいい。
それだけでいい。
私のことは捨て置くがいい。
私は人間ではないからだ。
私は精神です。
私は思想です。
私は言葉です。
私は物語です。
私は、行方不明になった物語です。
2024年9月13日 薊詩乃