『その画像はほんたうに必要なのか?』
ちょっとガーって乱暴に書きなぐるから、誤字脱字意味不明ごかんべんよ!
いま、江藤さんと朝まで生討論してるんだけど(ごめん、嘘です、や、半分くらい本当です😅)
ちょっと、江藤さんがいいコメントくれてね、あたしゃあ、立ち止まったよ。や、なにがなにって、文芸作品に画像を載せるか載せまいかって話でさ。あたしは文字だけで想像してほしい派でもあるんだけど、娯楽だし、親切に想像しやすくしたほうがいいかなって思って、最近はだいたい載せちゃってるのね。
でも、そもそもあたしは、文芸作品ならではの面白さも追求してるときがあって、そうなると、相手の想像力を奪っちゃう絵がむしろ邪魔になるときがあって、悩んじゃうのよね。
それは、ひいては相手の想像力や自分の文芸の力に信頼をおいてないってことになりそうで……なんてことを考えてしまったのよ。
や、だから、純粋に文字からだけで想像させたい作品には、絵を載せなきゃいいって話だよね? このジレンマ解決するには?
(答えでてんのかよw)
出てるか出てないかでいえば……や、やっぱわからんやろw
とにかくさ、江藤さんなんかすごい丁寧にみてくれて、付けた画像をを隠してまで「吟味」してくれちゃってんのよwwwww 絵の情報をいれないで、文字だけで味わってみるとどうかって――そんな読み手がいてくれるって、幸せよね (❀ฺ´艸`)
や、ともかくさ、そんなに早く答えは出さなくていいとは思うの。
あの、落語と一緒でさ、今、観る落語も、とあるNH○Kで流行ってて再放送もされてるじゃん。あれも本当に面白かったのよね。落語って昔から楽しむには、聞き手の想像力や、時代的な知識を要求するって言われてきた分野(現代ではね)だけど、その垣根を飛び越えやすくするために、作品まるまる全部映像にしてみせてくれちゃってんのね、それが新鮮で観てて楽しいし、楽だったのよね正直w
でもさ、「楽」なだけが文芸の楽しみかたじゃないはずなのよ。
想像する歯ごたえを楽しむ?っていうか、「なんじゃこりゃ!?」「どう想像すればええんゃ!?」っていうのを投げ込んで「うわ!わからんけどなんか圧倒的におもろい!ぞくぞくする!ざらっとする!」的な、そんな世界あるわけない!>< 観たことない!?>< でもけど、イメージが曖昧なまま脳内に響いて、それがぐわっと存在として屹立して、わからないままこびりついて胸に残る!っていうベクトルがあって、それはちょっと、歯ごたえあって疲れるんだけど、やっぱわからないまま、そのまんま飲み込むと、おいしいのよ。なんともいえず、不穏だったりして、心に残るのよ。そういう歌があるの。
もし、そのベクトル目指すときは、やっぱ絵ははずしたほうがいいのかもしれないわねえ。そのかわり――これたぶん現代詩に多いと思うんだけど、楽しみ方わからないと、「意味わからん!パス!」って人が多くなると思うw
あのきれっきれの言葉の魔術師の笹塚さんくらい、戦慄が冴えてて内圧高めな詩の領域までいってれば「むう!よくわからんがなんだかすごい!」ってなって楽しめる人も多いと思うけど、あの冴え方ってほんとセンスいるし、けっこう難易度高いとこなのよねw 笹塚さんはそれを呼吸するようにやるんだけどもw
スルーされたくないなら、妥協して、ヒントになる絵をつけてアップするか、それともスルーをおそれず、自分と詩と読み手を信じて、ありのまんま投げ込むか。やっぱ悩むところじゃないかしらん。
ね、どうする?
や、どうもしまいか(~_~;)
以上、一人で朝まで生討論でございました。
水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。