カッコイイは飽きる。でも、カワイイはずっとカワイイまま。
最近知り合った彼女は、パティシエを生業としている。ときどき、飴細工ギフトを手がける人でもある。”飴細工”といっても、お祭りの屋台に出ている金魚をモチーフにした懐かしい感じとは違う。
彼女の手から生み出される飴細工は、生花と見間違うような美しさ。中でも、私が目を離せなかったのは「ずずらん」をモチーフにしたものである。
ずっと、見ていられるのはなぜだろう。
すずらんは、白く丸みをおびた小さい花で、連なって下向きに咲いている。なんだかとってもカワイイ。
そう、カワイイからずっと見ていられるのだ。
***
1年前、とんでもなく"カワイイ人”と出会ってしまった。
その"カワイイ人”は、わたしの存在なんて知らない。「見つけた」という方が、正しい表現かもしれない。
いわゆる、”推し”である。
・昔からの友だちと間違えてしまうような、人懐っこさ
・自分の感情に素直なところ
・何に対しても一生懸命なところ
・時折見せる、目を潤ませながら、何かを訴えかける表情
・ハスキーで、キーの高い、儚い声
・「カッカッカッ」という、独特な笑い声
・ツッコミ役に徹しているかと思えば、急に発動する天然ボケ
・カタカナが苦手
・計算ができない
など……。魅力的な面を挙げたらキリがない。
一見、ドン引きしてしまうようなことも、カワイイ人の行動であれば、どこを切り取ってもカワイイと思えてしまう。
何をしてもカワイイ。
時間の経過とともに、カワイイが増していく。
***
振り返ってみると、幼い頃から“カワイイもの”との距離が遠かったように思う。
きっと、自立心が強く、早く大人になりたかったから。
社会適合性は高い方で、周りの大人からから言われたこと、集団のルールなどはしっかり守る子どもだった。
ただ、幼いながら、わたしにも”都合”というものがある。
気分がのらないときは授業を放りだしかったし、食欲がないときはご飯を食べたくなかった。友だちが悩んでいたら、夜まで一緒にいて話を聞くことを選びたかった。その日、その日の気持ちや状況にあわせて、スケジュールを自分で決めたかった。
幼いわたしには、自分の都合で生きることができなかった。
早く大人になりたいから、背伸びしてキレイなもの、カッコいいものに惹かれていった。無意識に"カワイイ”を排除した世界で生きてきた。
ペットを飼ったことはない、キャラクターものも縁がない。選ぶ洋服も持ち物も、落ち着いた色合い。部屋はモノが少なく”ドラマに出てくるオトナの女”を思わせる空間だった。
心惹かれる人も、大人っぽい雰囲気のカッコいい人。アイドルよりも、俳優やミュージシャン。
ただ、心惹かれるのも早いけど、冷めるのも早かった。
たとえば、食べ方が汚かったり、お片付けができない面が見えたり、わたしが抱く”カッコよさ”に疑問を投げかけるようなポイントを見つけてしまうと「カッコいいままでいてくれよ。」と心の中で呟いて、スーッと心が冷えていく。
カッコイイ人にはカッコイイままでいてほしい。カッコイイは飽きる。
***
社会に出て、もうすぐ20年が経とうとしている。
いわゆる自立した生活できるようになった今、わたしは背伸びする必要がなくなった。だから、カワイイ人を受け入れる体制が整ったのかもしれない。
カワイイ人がご飯をボロボロこぼした姿、ゴミを捨てられずに片付けられない様子を見ても「もうっっっ!」と言いながら、世話を焼いてしまう自信がある。
カワイイ人は、何をしてもカワイイ。
カワイイって最強だ。
***