何もない今日こそ、愛おしい
今日の私は、やたらGoogleカレンダーを眺めている。何も予定がない日。だからこそ、普段なら通りすぎてしまうような細かいことが頭をよぎる。
「明日は約束があるから、外出ついでにできることを整理しよう」
「来週のミーティングのために、そろそろ◎◎さんに連絡しておかなくっちゃ!」
ベランダに出てみると、うっとりするほどに空が澄んでいた。何もない今日だって、大切にしたい。
ただ過ぎてゆく、それが愛おしい
最近のお気に入りは、クリスマスに買いためた紅茶でミルクティーをつくること。いつもより丁寧につくったミルクティーからは、ほんのり甘い香りがする。
立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、マグカップを両手で包む。ゆっくりと手に広がっていく温かさに、心も満たされていく。
お気に入りのミルクティーを味わい、ひととおり家事を済ませた後は、鍼灸院に行くことにした。針を刺された瞬間の鋭さ、その後に広がる鈍痛。通院3回目にもなると、痛みも心地よく思える。自分の体のがんばりに気付けた瞬間だった。
「体に負担をかけてばかりで…こめんね」と、心の中でつぶやく。
鍼灸院を後にして、そのまま散歩に出かけた。見上げると、空は変わらず澄んだまま。
すれ違う家族の幸せそうな様子を見て、私も微笑む。幸せをおすそわけされた気分だ。冬の冷たい空気は、温まった体には涼しいとさえ思えてしまう。
家に戻り、湯につかると、さらに体がじんわりと温まっていく。血液の巡りを感じて、「ただ生きている」という感覚が生まれる。
そして、目を閉じて、ソファーに座りながら今日を振り返る。
何もない、ただ過ぎていく日々。その中に、自分が確かに「ここにいる」感覚があった。それがどれほど愛おしいものであるかを、今日という日が教えてくれた。
ベランダに出てみると、夜空に透き通るような月が浮かんでいた。何もない今日を、そっと包み込んでくれているような気がした。