母への手紙
自分が初めて歩いたときの記憶が、私にはある。
両手を大きく広げながら、母はそれは嬉しそうに、
はしゃいでいた。この私が初めて歩いたのだ。
母からは、よくこんなことを聞かされていた。
1歳で“黒猫のタンゴ”のレコードに合わせ
お尻を振りながら、ダンスを踊っていた。
2歳で小学生と文通をしていた。
3歳で幼稚園に入園した日には、帰ってくるなり
「幼稚園は幼稚だから、幼稚園というのね」と言った。
小学生と文通していたときの手紙を、ずっと大切そうに母は保管していた。ある年の母の日。私はカーネーションと手紙を送った。そのときに手渡した手紙が嬉しかったからなのか普段から母は持ち歩いていたようである。旅行先のバックの中にも、それは入っていた。
そうして確かに送ったはずの手紙が、私の手元に戻ってくることになった。その旅先の事故で、母は亡くなったからである。私が24歳のときだった。バックの中からその手紙を見つけたときは、何で…。という言葉しか出てこなかった。
ただ、その手紙の内容を読み返してみたときに、
最後にせめても自分の気持ちを伝えられていたことで
安堵をしようと努めた。日頃の母への感謝とともに、
最後はこう締め括っていたのだった。
お母さん
あなたの子供として
生まれてこれたことを
幸せだと思っています。
こんな娘ですが
これからも
よろしくお願いします。
初めて歩いた日の記憶が
私には確かにある。