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酒井忠次が多いカレー
徳川四天王シリーズ第一弾。
徳川家康を天下人へと押し上げた重臣四人を、特に徳川四天王と呼びます。酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政。
この四人をそれぞれ妄想しながら料理と思いつく。まずは年長である酒井忠次からと思ったものの、ぼんくらな私にはいい料理が思い浮かばない。苦し紛れに作ったのが、具が多いカレーという訳。
昔、具が大きいカレーというレトルトカレーがあったことも思い出す。
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高野豆腐 半丁
大豆ミート 好きなだけ
ジャガイモ 2個
人参 1/3
玉葱 半分
生姜 1欠け
大蒜 1欠け
トマト 4個
ターメリック 大匙1
クミン粉 大匙1
コリアンダー粒 小匙1
チリパウダー 大匙1・5
カルダモンと丁子 合わせて大匙1
ガラムマサラ 大匙1
ローレル 1枚
塩 大匙1
胡椒 適量
片栗粉 大匙1
大永七年(1527)松平家に代々仕える酒井家に生まれた忠次。家康よりも16歳年長。竹千代という名だった幼少の家康が駿府の今川家の下に赴いた際にも同行。四天王の中ではもっとも長く家康に仕えていたと言えます。
武勇に優れるだけではなく、軍略もあった人物。
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絹豆腐を凍らせてから解凍、水分を絞る。
武田信玄の上洛作戦を阻むために徳川、織田連合軍が挑んだ三方ヶ原の合戦。
精強な武田軍に連合軍は鎧袖一触。這う這うの体で逃げ帰ることに。
その時、忠次は浜松城の城門を開け放ち、派手に太鼓を打ち鳴らさせました。逃げて来る味方を鼓舞するだけではなく、うっかり城に入ったら罠があるかもしれないと敵に思わせる効果。中国の軍略にある空城の計です。
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武田勝頼と織田徳川連合軍が戦った長篠城を巡る設楽原の戦いでは、武田方の鳶ヶ巣砦を背後から夜襲しようと軍議で提案。
「此度の戦にそのような小細工は不要」と信長に一蹴。
しかし、後で信長は忠次に
「武田の間者がいるかもしれないので、あの場は却下したが、誠に良い案。すぐに実行すべし」
戦後、信長は忠次に
「後ろにも目があるような目配り、見事である」と称賛。
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後に、その信長により、忠次は生涯続くような窮地に。
安土城の信長の元を訪れた忠次、詰問を受けることに。
「信康は武田と内通しているという話があるが、誠か」
信康とは家康の長男。
武家の間には、偏諱という仕来り。これは主君の名前を一字、頂いて名乗りとするもの。信という字は信長から貰ったものでしょう。
信長と家康の間に結ばれた清州同盟、信長が死ぬまで破られることはなかった同盟ですが、対等な同盟ではなく家康の方が従属に近い関係。長男の名前がそれを示しています。
また、信康の妻は信長の娘、五徳。その娘からの書状で信長は内通の疑いを知り、忠次に詰問。
忠次はしどろもどろ、効果的な弁明は出来ず。
今、信長を怒らせる訳にはいかないという配慮からか、或いはもしかしたらいくばくかは疑われても仕方ない要素?家康は信康に腹を切らせる。
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そればかりか、家康の正室で信康の生母、築山殿も内通だけではなく、唐人の医者と密通していたという疑いを寄せられて、こちらも処刑。
家康は妻と長男を一度に失うことに。
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このような仕儀になったことで、忠次が咎めを受けることはありませんでした。表面上、何事もなかったように忠次は務めを果たしていき、家康も変わらずに接していました。
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豊臣政権下、家康は関東に移封。その時には忠次は隠居して長男の家次に家督を譲っていました。老齢というだけではなく、目が見えなくなっていたからとも言われます。
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関東に広大な領土を得た家康は重臣達にも大名並の領地を与えていきます。
徳川四天王の残り三人、井伊直政は十二万石、本多忠勝と榊原康政はそれぞれ十万石。しかし忠次の長男、家次には三万石しか与えられず。
そのことを家康に告げた所、
「そなたでも子は可愛いか」
と痛烈な返答。
表面上は何ともない顔をしていても、家康は忠次のせいで信康を殺さねばならなくなったという思いを抱き続けていたということ。
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どかた家の定番ご飯、雑穀米にたっぷりかけました。
自家製高野豆腐、味が沁み込んで、これがあれば肉など要らず。大豆肉も十分な味わい。圧力鍋で煮た野菜はどれも柔らかい。
具だけではなくスパイスも多いカレーなので、カルダモンの爽快さ、チリの辛さ、丁子の風味等々が絡み合ったハーモニーが絶妙。チリは体を温め、カルダモンは整腸、クローブこと丁子には抗酸化作用といいことづくめ。
隠居後の忠次は京都に隠棲。一智と号して、戒名もそれ。よく見えなくなった目でどんな風景を見ていたのだろう。徳川家康のために戦った酒井忠次の生涯を思いながら、酒井忠次が多いカレーをご馳走様でした。