大物芸能人から言われた”一言”(31)

~ 概要 ~

私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。

第3章の概要 ~未来を担う若者たちを築く塾~

平安な世界を創るため、私は、「未来を担う若者たちを築く(育む)塾」を創ることを決めた。そして、2018年2月15日に、多くの方々の協力のもと、「お金」を一切絡めない、「心」で繋がり、「心」で進める塾を開講した。
初年度は、試験的に多くのことを試み、塾の方向性・内容を高める年とし、実施していくこととなるのであった。

「大学生の私」

平安な世界を創るため、2018年2月15日に、「未来を担う若者たちを築く塾」を創設した私の大学生のころを振り返りたいと思う。

「初めての恋愛」

大学に入学した私は、新歓で出会った女性に一目惚れをした。
新歓で出会ったとき、電話番号を教えてもらうことができなかったが、その後、友達を経由して、彼女の電話番号を教えてもらうことができた。
私は、ドキドキしながら、彼女の携帯電話番号に電話をした。
電話に出た彼女は、私と出会った日は、連絡先を誰とも交換しないと決めていたと話をした。私は、胸を撫で下ろす気分であった。嫌われていたから電話番号を教えてもらえなかったわけではないことを知り、安堵した。そして、その日から、彼女との電話が日課となった。

「告白」

彼女との電話のやり取りが、3か月くらい続いたある日、私は、勇気をもって、電話越しに、彼女に告白をした。

彼女は、私の告白を受け入れてくれた。私は、嬉しくて、飛び跳ねる想いでだった。そして、彼女と会う約束をした。初めて出会った日から3か月以上の月日が経過していた。

「初めてのデート」

初めてのデートは、原宿の交差点にあったジョナサンで待ち合わせをし、そこで、食事をした。しかし、彼女は、体調が悪いとのことで、早々に帰ってしまった。

私は、何か悪いことをしたのでは?嫌われるようなことをしてしまったのでは?と不安に思っていた。

2回目のデートは、友達と一緒に、車でデートをした。
確か、信濃町駅のあたりで、待ち合わせをした気がするが、よく覚えていない。都内をドライブし、この日は笑顔のまま別れ、家路についた。

彼女は、私より、1歳年上で、お嬢様大学に通っていた。

私は、彼女の芯が強いところ、しっかりしているところに惹かれていた。

1歳だけの差ではあるが、落ち着いていて、私よりも、だいぶ大人に感じていた。
私は、彼女に喜んでほしく、彼女を喜ばせようとし、彼女に夢中であった。

次回に続く・・・

<余談>

「母の死」

6月、初夏が訪れる前。母が亡くなったのは、暖かい日であった。
亡くなった次の日から、雨が続いたのを覚えている。
沢山の雨が降り続いた。私の前から、色が消えた・・・
私が見る世界は、セピア色に変わっていた。
何をすればよいのか?ではなく、何もすることができない状態が続いた。
ただ、呆然とし、母のことだけを考え続けていた。

大学の先生も、友達も、私のことを心配してくれた。
先生は、特別対応なのか? 休むことを許可してくれた。そして、休んでいたにも関わらず、単位を取得させてくれた。
友達は、私を元気づけようと、カラオケに連れて行ってくれた。
その気持ちは嬉しかったが、私は歌う気持ちには慣れなかった。
時間だけが過ぎていった。
付き合っていた彼女への連絡もできずにいた。
国家公務員試験のために通っていた専門学校も行くことができなかった。
勉強が手につかず、私は、諦めてしまった。

そして、時間が過ぎ、大学4年になり、卒論と就職活動が始まった。
母を亡くし、たくさんの悔いを残してしまった私は、もう悔いを残さないように生きると心に誓った。
そのためなのか、卒論は、誰よりも、研究テーマが決まるのが遅かった。
就職活動も、いろいろな業種・職種を見ることとした。100社を超す企業に応募をしたのを覚えている。

次回の「余談」に続く・・・

第一章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。

第二章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(18)を参照ください。

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