大物芸能人から言われた”一言”(41)
~ 概要 ~
私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。
第3章の概要 ~未来を担う若者たちを築く塾~
平安な世界を創るため、私は、「未来を担う若者たちを築く(育む)塾」を創ることを決めた。そして、2018年2月15日に、多くの方々の協力のもと、「お金」を一切絡めない、「心」で繋がり、「心」で進める塾を開講した。
初年度は、試験的に多くのことを試み、塾の方向性・内容を高める年とし、実施していくこととなるのであった。
「政治の会」
気温は、30度を超す真夏日に、政治に関する勉強会は開催された。場所は、衆議院議員会館。数百名の老若男女が参加した。
経営に関する勉強会と異なり、グループに分かれたワークショップ型とした。そして、政治の在り方について、問いて学ぶ会とした。
政治の勉強会に参加した皆様、ひとりひとりが刺激を受け、勉強会を通じて、それぞれが感じ取るような会であった。
また、秋に開催予定の文化の会まで、引き続き、若者たちと少人数での交流・勉強会を実施した。
次回に続く・・・
<余談>
「家紋」
2016年、命に限りがある私は、自分のルーツが気になり、本格的に調べた。もともと、ルーツを気にしていたが、調べようと、実際に行動に移したのは、この年が初めてであった。
祖母に確認をし、区役所に、そして、祖母から聞いた山梨県の甲府の寺に電話をして確認をした。
そこで、わかったことは、曾祖父は、嫁さんから、山梨にいてはダメになると言われ、山梨県甲府の実家から東京に移り、東京で病院を経営していたこと。また、曾祖父のお父さんは、山梨で製糸場を営んでいて、ろくでもない親であったこと。さらに、寺に、莫大な寄付をしたということ。
2016年、残念ながら、このくらいのことしか、わからなかった。。
そして、月日が流れ、2022年、私は、たまたま、その続きを知ることとなった。
それは、家紋であった。安倍元総理が銃弾に倒れ、逝去された7月。
ちょうど、この時期に、私は嫁ぎ先で、新たにお墓を作るにあたり、石材屋の方と家紋について話す機会があった。その時に、実家の家紋の名前や
由来を知ることとなった。そして、安倍元総理や加山雄三氏と、同じ家紋であることを知った。
私の実家の家紋は、長野県の諏訪大社と関係があることがわかった。
そして、
山梨県甲府と長野県諏訪は、密接している位置にあるのだった。
次回の「余談」に続く・・・
第一章のあらすじ
大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。
第二章のあらすじ
大物芸能人から言われた”一言”(18)を参照ください。