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000_cafe/bar & talk lounge 「 t o c o r o n i , 」始めました。

cafe/bar & talk lounge 「 t o c o r o n i , 」の開業

2024年12月23日。松本市会田(旧四賀村)にて、cafe/bar & talk loungeである「 t o c o r o n i , 」という場所を開きました。文字通りトークラウンジを併設したカフェバーであり、「アトリエ(事務所)を地域に開き、語り、飲める場にする」というコンセプトのみを携え、3日間のオープニングイベントを行いました。

卓球台を置き、版画のワークショップを行い、コーヒーとお酒とちょっとした料理を提供し、トークイベントを開き…盛況の如何はさておき、たくさんの方にお越し頂き、じっくりとお話する時間を持つことができました。

トークイベントの様子
自らコーヒー淹れます
ギャラリー併設
卓球もできます

ところで、「設計・デザインを生業とする会社がなぜこの場を開こうと思ったのか」。初めてのnoteの記事はそんなことを書きたいと思います。わずかでも興味のある方は…少しお付き合い頂けると幸いです。

「チロル堂」と「ほっちのロッヂ」

始まりは大学の同期と隔週ミーティングを開始した2年前の今ごろです。きっかけは彼の「とある事業の成り立ち」を、柄谷行人の「交換様式」理論を用いて、「とどまる」という思想で読み解く、というnoteの記事。その問題意識、興味対象に共感し、まずは色々な事例をかき集めて考えてみよう、という始まりでした。

さて、その問題意識、興味対象とは?ということなんですが、正直なかなか整理して言葉にするのが難しい…。
でもすごく端的に言ってしまえば、「資本主義の論理では語り切れないような取り組み(事業)が、どんな方法・振る舞いで、何を目指し、どこへ行こうとしているのか?」ということになるかと思います。

ここ2年で特に注目したのが、奈良県生駒市の「チロル堂」そして軽井沢町の「ほっちのロッヂ」。いずれも見学させて頂き、できるだけ代表の方達の生の声を聞こうとイベントの場に足を運びお話を伺いました。
本当はもっともっとたくさんの事例を参照したいのですが、この二つが強烈すぎて、噛めば噛むほど味が出てきて、ずーっとこれらについて考えてきました。

2つの施設についてはそれぞれ以下の記事を読んで頂ければ概要を掴んで頂けると思います。


「ライフル」と「散弾銃」

唐突な小見出し…。
それはともかく、この2つの施設について共通する大きな特徴を一つあげるとしたら、

「大きな正解を据えず、"確からしいもの"が常に揺れ動き、日々の実践の中で小さな正解を更新していく」

ということになります。正解はない(想定しない)中で調整と実践を繰り返し、その中で組織、共同体、取り組みが動的平衡を維持する。そんなイメージ。

イメージできますか…?
ここで、よりイメージ、説明しやすくなるように(なるかな…)、実践と調整、について、グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然』から「フィードバックとキャリブレーション」を参照したいと思います。少しややこしい話かもしれませんが、とても重要な概念なのでぜひ読んで頂きたいです。

キャリブレーションとフィードバック]とは
あらゆる精神の過程(思考、学習・・・)で、ある定点・類型・形態(=キャリブレーション)があてがわれたとき、そこから新たな関係性を導き、一つメタレベルの関係性をもつキャリブレーションを追究していく(=フィードバック)過程。

例:散弾銃射撃の学習
散弾銃の射撃では、射撃=照準であるので一度の射撃で狙いを定める間に修正のプロセスを介入させることはできない。前回の射撃を参照することでしか、学習はできない。
(ライフルは照準を合わせ、一度の射撃で修正しつつ狙いを定められる)

つまり、一度の射撃=定点(キャリブレーション)であり、前回の射撃との比較(フィードバック)でしか、次の射撃のより高い精度は導きだせない。

https://aoilab-seminar.hatenablog.com/entry/2013/07/14/095913


…いかがでしょうか。ライフルは極限まで精度を高め一発で仕留める一方で、散弾銃は前の射撃を参照することで次の射撃の精度を高めていく、という違いです。
繰り返すことでしか精度が上がらない散弾銃の射撃。チロル堂、ほっちのロッヂもまさに、散弾銃的実践においてその取り組みの精度(それぞれの社会的課題に対する取り組みの"確からしさ")を高めているように思います。

重要なのは、それぞれの実践において「散弾銃」の形状から打ち方まで何もかもが異なる、ということです。近代化を経て社会には扱いにくい散弾銃のような(扱い方のわからない/うまく扱えるようになるには時間のかかる)課題が、厄介者としてたくさん取り残されている。その放置された多種多様な散弾銃のうちの一つを手に取りとにかくまずは射撃をすることで、散弾銃そのものの理解(=取り残された問題の本質の理解)を高めていく。そんな手探りのような個別無類の取り組みが「チロル堂」と「ほっちのロッヂ」なのではないかと思います。
だからこそ、端的に言えばぼくはライフル的実践ではなく、このような散弾銃的実践がこれからの社会に必要だと思っています。

「イシューの発見」と「対話の場」

前置きが長くなりました。長くなりがちなんですが。 記事のテーマは「設計・デザインを生業とする会社がなぜこの場を開こうと思ったのか」でした。長い前置きを経てその問いの回答は、「散弾銃的実践の場をセットし、そもそも社会にどのような散弾銃が隠れていて、どのように扱えばいいかを発見したい」ということになります。
言い換えればそれは、「イシューの発見」です。設計・デザイン以前に「社会にどのような課題、問題が潜んでいるのか?」=「イシューの発見」を行うこと。これが前提です。目の前の見かけの課題、問題に焦点を当てることは簡単ですが、物質的不足をほぼ解消した社会※はもっと複雑化している。だから「イシューの発見」のために「散弾銃的実践」を行う場を設けた、という感じです。
※山口周『ビジネスの未来』(2020)参照

さらに、その発見を可能にするのが「対話の場」です。
そして「対話の場」に重要なのが、「イシューを発見することを目的とした議論の場」(ライフル)ではなく、「ただただ会話する場」(散弾銃的)であること。だからtalk lounge。そしてゆっくりじっくり、自然体で話ができるように、cafe/bar。
これがぼくが「t o c o r o n i ,」を作るに至った事由です(振り返って今初めて整理しました)。色々な活動を通した「〜なところに」起こることを、実践を通して発信していく。そんな場。

「 t o c o r o n i ,  」のこれから

果たして説明しきれているんだろうか…少し不安ですが、先に進めさせて頂きます。

以上のようなことを背景として始まった場「 t o c o r o n i , 」は、月一のトークイベントを行いつつ、できるだけ定期的に、ミニイベントを積み重ねたいと思っています。まずは隔週から。現状の理想は毎週です。

小見出しに反して、それ以上のこれからはイメージしていません。散弾銃なので。
トーク、ミニイベント、飲食それぞれのコンテンツ力と質を存分に高めながら、ただただ日々を過ごしていく。だけど、必ず常に追い求める"確からしいこと"がある。そんな運営を行なっていきたいと思います。

終わりに

こんな会社ですが、随時設計・デザインの仕事はお待ちしております。小さなお困りごとだけのご相談でも結構です。まずはコーヒーでもぜひ飲みにいらしてください。設計・デザインはもちろん、作る前のお悩みごと、お店であれば「どのようなお店にしよう?」から、既存施設のリブランディングまで。

「アルトコロニ,デザイン」には、「語り継がれる無名の物語」をデザインしたい、という思いを込めています。一人一人の想いとその取り組みが現代社会を形作っていて、それが必ず誰かにとっての素敵な物語となり、未来永劫どこかの誰かによって語り継がれていく。そんな過去と現在と未来をつなぐような活動を行なっていきたいです。

長文にお付き合い頂きありがとうございました。2025年、飛躍の年にしたいです。よろしくお願いします。

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