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「ウチの話」について。

カフェの隣席にいた女性2人。片方は子供と旦那と姑の話をし続け、片方は頬づえをつきながら表情筋だけで微笑んでひたすら聞き役になっている。

「身内の話」というのは、聞く方にとっては

・同じ境遇かつそのテーマに興味がある
・相手にトークスキルがある
・登場人物のことを自分もよく知ってる
・ネタとして昇華されてる

とかじゃないと、延々続くとちょっぴりしんどいよね…分かるよ…と思って見ていた。

別にそういう話が悪いわけじゃ全然ないし、彼女の日常が今それで占められてるならその話題になって当然だと思う。いい悪いの話ではない。ただ、その手の話はむずかしいなーと思っただけだ。というか単に個人的にあまり好まないトークテーマだからなのかもしれない。
「この人の身内話ならいくらでもOK!」と思う友人もたくさんいるけど、そういう人はわりとトークスキルがあり、何よりそれ以外の話の引き出しもたくさん持ってる。つまりそういう人は「何を話しても面白いひと」ってことだ。

私は「これについてどう思ったか」という考察話をする方が好きだ。相手のそれを聞くのも好き。ゆえに「共通の趣味の話」「見た映画やマンガや本の話」がいちばん好きなテーマで、ことに「面白かったよ」だけじゃ飽き足らず、「なぜ好きなのか」「何がどう面白かったのか」を語り合いたいなといつも思ってる。妄想話も大好物。何なら趣味が「共通」でなくてもいい。最近聞いてていちばん面白かったのはK岡くんがエナジードリンクについて自身の考察と持論を語りまくった時だし。
(もちろん誰かの噂話や恋バナやdisみたいなゲスいのも好きです。でもそれはメインディッシュに付属するデザート的な存在って感じ)

「共通の趣味の話」「(現在またはかつての)所属団体の話」「身内や友人の話」などが次々展開してゆくならいいんだけど、それが合わない方向に特化したり固定したりするとなかなかキツい。
私は共通の趣味についてもっと語りたいけど相手はその話題にはあまり長くとどまるつもりはなく、身内の話を語りだした途端に口数が増えたりすると「ああ…」と察し、こちらも仕方なく自分の夫やら親やらの話を差し出すけど正直テンションは下がってゆく。時間つくって美味しいメシと酒を前にして、自分ちの話とかいらなくね…?と。
私は夫も夫の家族も自分の家族も大好きだし仲良くしてるけども、「最近ウチはこう」「そうなんだ、ウチなんかこうで」みたいな事実を報告しあう醍醐味がよく分からない。
(例えば片方が家族についてのグチや悩み相談を始めたなら、こちらも『我が家の場合』を例に出すのはすごく分かる)

振り返ると、「ウチはこう」話をしなくても3時間とか6時間とか8時間とか話し続けられる友人たちが周りに多いなと気づく。帰り道、「そういえば久しぶりに会ったのに皆の近況まっっったく聞いてないな(笑)」と気づいたりするんだけど、そういうのも含めて、いいなと思う。

そういえば我が家は、私と弟が独立して家を出て久しぶりに一家で集まった時のメインのトークテーマは「最近観た映画やテレビや小説の話」「世の中で起こってることについて(政治とか)」で、むしろ両親の方がそういうことに詳しく、私はそれが好きだったなと思い出す。そういう話をもう父とできないことはわりとさみしい。

終わりまで書いて「こんなこと書いて友人が話題に気を使ったらどうしよう」と思い始めた。いや全然いいんです…いい悪いじゃないし、私も相手にとってクソつまらない話をたくさんしてると思うし、私にとっての面白いテーマが、相手にとっては苦痛な場合もあるだろうし。
ただ「メインで話したいテーマってほんと好みと偏りがあるなあ」ということが言いたいだけです。

でも「そろそろ恋人はできたのか」「まだ結婚しないのか」みたいなテーマだけはやめたらいいと心底思うよ。

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あゆみ
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