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「じぶんの芯」を作った作品は何か。

SNSはここのところ、特異モード。
日に日に己の身に切迫してくるコロナ禍や政府の対応について、腹を立て批判をする人、茶化す人、今なお現政権を擁護する人、そして「政治にまつわるギスギスしたポストは見たくない」という人、通常運転の人。あまりにでっかい厄災の最中では言及するしないに関わらず、それぞれの姿勢の違いが浮き彫りになる。

それぞれは、それぞれでいい。
私もTLの友人を見ながら「あーこの件に関しては私と全く相容れないんだなー」と思うことがよくある。きっと向こうもそう思っているだろうし、政治等についての姿勢が相容れないことはその人に対しての好嫌とはまた別の話で、印象には影響があるけど普段のつきあいにはあまり関係がない(ジェンダー観が古すぎたり攻撃的だったりするとヤバいかもしれないけど)。

そこから派生して「その人の芯をかたち作るものって何だろう」みたいなことをつらつら考えることが多い。

芯が何によって作られるかは人それぞれだけど、要素のひとつに「作品との出会い」というのはないだろうか。小説でもマンガでも映画でも、作者自身でも。

その作品に、その作者に、何歳で出会って何を感じ、どの部分に影響を受けたか。それによって(すべてではないにしろ)自分の哲学とかものの考え方とか、キャラクターまで決まったりすること、あるんじゃないだろうか。

ありますよね…?

例えば私に関して言うと、物心ついた時から両親は湯水の如く本とマンガを与えてくれていて、それはそれはノンジャンルで雑多だったのだけど、子供ごころに「戦争もの」には強く衝撃を受けた。東京大空襲、原爆、沖縄戦、ナチスのホロコースト。これらを描いた児童文学(「ガラスのうさぎ」「ふたりのイーダ」「太陽の子」、そして児童文学じゃないけど「アンネの日記」など)の影響は、明らかに私の根底というか、芯の一部を形成していると思う。
とどめは母の実家である広島に連れて行ってもらった時、原爆資料館で買ってもらった「はだしのゲン」だ。

結果、私の人格の半分くらいは今でも「はだしのゲン」でできてるんじゃないかと思ってる。

それは反戦的な意味合いだけじゃない。図太かったりずる賢かったり、意味の分からない規則には従わなかったり、「しょうがない」が大嫌いだったり、自分で新しいものを考えたり、ふざけまくって日常を楽しんだりするところなど、ゲンたちの生き方にはたくさん感銘と影響を受けている。
(断っておくと「はだゲン」は好きだけど、その表現すべてにもろ手挙げて賛同しているわけではない)

それと同じように、他のひとにもそういうものがあるんじゃないだろうか。それが幼少期なのか、青年期なのか、大人になってなのかは色々だろうけど。

向田邦子で卒論を書いた大学の同級生。「ダンシング・ゼネレーション」を読んでダンサーになった友達。「スラムダンク」が自分の芯を成している人も多いかもしれない。芥川を読んで衝撃を受け、芥川のようになりたがったのは太宰治。音楽だったらきっともっと影響が大きいかもしれない。ビートルズ。ピストルズ。尾崎豊。そういうものにいつ会って、どんな衝撃を受けたか。

好きなミュージシャンや作家のインタビューだとそういう話を聞けるけど、友人たちのそういう話は聞いたことがない。いつか聞いてみたいなと思う。「好きなもの」を語るのとは少し違う話なんだよ、きっと。

今回みたいな非常時になると、その人の芯がむき出しになってくる感覚が毎日ある。この人のそれを形づくったものは一体なんだろうな…そう思いながら今日もSNSを眺めている。

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あゆみ
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