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生死の境界線について考えたこと

今日のVoicyのたいろーさんの配信を聞いて、私も最近同じようなことを考えていたので思ったことを書いていく。

みなさんの中で『死』ってどういうことだと思いますか?
以前は私は『心臓が止まること』だと思っていたけれど、色々解釈が違うみたい。

COTEN RADIOの『死の歴史』を聞いて

みなさんコテンラジオを知ってますか?
株式会社COTENの深井龍之介さんを中心に、歴史についておもしろく語っていて
ポッドキャストアワードなども受賞されているので知っている方もいるのではないでしょうか?
知らなければ、聴いてみてください。
必ず、歴史に興味関心が持てるようになります。(笑)

話は置いておいて、そのコテンラジオの最新のシリーズが「死の歴史」だった。
その中で、『死』について色々と話されているが

「インターネットとSNSの登場によって僕らは生きているのと死んでいるのの境目がわからなくなっていく」

とラジオの会話の中で言っていた。

身体として『死』んでいたとしても、
インターネットやSNSのアカウントがあると、もしも誰かが死んでもオンライン上にはその人は存在している。もしも、その人の家族が亡くなった人になりきってアカウントを使用していたら、
第三者からすると(亡くなった人は)まだ生きていると感じる。

なんかすごくないですか?

自分のiphoneの設定画面をいじっていたときに感じたこと

つい最近、自分のiphoneの設定画面に
「故人アカウント管理連絡先」というものがあるのに気が付いた。
どうやら私の死後、私のアカウントのデータにアクセスする権利を信頼して誰かに付与することが出来るものだという。(こんなのあるの知らなかった!笑)
それを見て、「もしもこれを誰かに共有したら、その誰かが私の死後私になりきれるのかなぁ」と考えていた。

そう考えていたところに、コテンラジオさんとたいろーさんの配信を聞いてつながった感じがした!笑

そしたら、このnoteもいつかはそうなるのかな、とか考えてみたり。(笑)
もしも私が亡くなったとして、夫や息子がこのnoteを見て少し共感してくれたり、
「もったいないからこのnote、私になりきって書いていこう」とかになったらnoteの中で私という存在はずっと存在するのかもしれないと考えると少し興味深い。

答えのない問いだけれども、
自分の存在を示すためにこれからもnote続けよう~と思った1日です。(笑)

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