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幸せそうな母と、優しいパパ

母親が笑っていることって、子どもにとって最強なのかもしれない。


娘や息子を見ていても、いつもそう感じる。
私の二人の宝物は、私を笑わせようと、いつも、私好みのバカげたことをやって見せてくれる。
ママが笑顔になってほしい、というよりは、笑い転げてほしいという気持ちが強いらしい。

私も、子どもたちと笑って過ごす瞬間が大好きで、一番幸せを感じる時間だ。
今年二十歳になる娘に、「なんか面白いことやって」と、無茶ぶりもいいとこなリクエストをしてしまう。
それに応えてくれる娘は、今就活を頑張っているけれど、まだ内定をもらえていない。




小学6年生のとき、初めて離れて暮らす母に会いに行った。
異国かと思うほど離れたところに住んでいると思っていたが、実際には電車で数駅。15分で着いた。

駅のホームまで迎えに来てくれていた母は、絶対に離さないぞといわんばかりに強く腕を組んできた。かなり困惑している私をよそに、そんなことはお構いなしで密着して歩きながら母の自宅へ向かった。
学校の教員だった母。母の勤める学校がどこだったのかはわからなかったけど、商店街で小学生らしい子どもとすれ違うたびに、

これ教え子だったらどうするんだろう、
恥ずかしくないのかな、
先生って子どもいたんだって思われるんじゃないか、
しかもこんな大きい子どもと腕を組んで歩いているなんて、
明日学校で子どもたちにイジられるんじゃ…

などと、どうでもいい思春期ならではの思考をぐるぐるとめぐらせながら、母に引きづられるように歩いたのだった。

母は、2年前に再婚していたことは知っていた。あなたの優しいパパになってくれる人と結婚しました、と書かれた手紙をもらったときは、捨てられた気持ちになったことを覚えている。私のお父ちゃんは死んだし…と少しひねくれた。誰にも言ってないけど。

そんな、優しいパパと初対面した。寡黙な人だった。いらっしゃい、と声を掛けてくれた。「娘ですわ」と母は言う。私の居場所はないなと感じた。どんな話をしたかは覚えていない。というか、なにか話をしたんだったか…おでんがお昼ご飯だった。お肉の入っていないあっさりとした、なんとなくもの足りない薄味のおでん。初めての母の手料理を、面白くもないテレビ番組を眺めながら全部食べた。


優しいパパが、左手の小指にささくれができたと言った。
母は、「カットバン貼ってあげようか」と言って、貼ってあげていた。自分で貼れそうだったけど、母がやってあげるんだな。普段もそうなのかな…なんて、新しいパートナーとの母の暮らしぶりを想像してみたりした。

当時の母は、今の私くらいの年齢だったと思う。

今、私は、ダンナとの関係性に悩んではいるが、仲良くやっている姿を子どもたちに見せて安心させたい気持ちがあったりする。
私が、いつもダンナの愚痴を言ってしまうもんだから、子どもたちもダンナのことを毛嫌いしているところもあるがそれは私のせい。
やっぱり、両親が仲良くやってるとこを見ると嬉しいらしい。

あの時の母の、指にカットバンを貼ってあげるという行為は、「お母さんは幸せにやっているよ」と私に伝えたかったんだろうか。
ここに自分の居場所はもうないな、と感じた一方で、少し安心したというのも心のどこかにあったのだ。


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