える、しっているか お洒落人(おしゃんちゅ)はヴィーガンスイーツしか食べない
『友達がやってるカフェ』に行ってきたよ
こんにちは。あゆさわって言います。書いてある通り、先日『友達がやってるカフェ』に行きました。
友達がやってるカフェは、私の友達がやってるカフェというわけではない。『友達がやってるカフェ/バー』という名前の原宿にあるお店。
ある日、YouTubeを眺めていると『友達がやってるカフェ』のショート動画が目に入る――その動画では店員さんがフレンドリーに動画撮影者に話しかけている様子が映っていた。そこでは、店員さんが友達のようにふるまって接客してくれるのだ。おしゃれな空間でおしゃれな友達とおしゃれドリンクを嗜むことができるのだ。
面白い~~
…
……いや、いやいやいや。えぇ。
この世には「友達がやってるカフェに行きたい」という願いを持って、それを「ロールプレイでいいから楽しみたい」と思うやつどれだけいるの??
怖くない?どういう感情??えぇ???
という感想を動画を見た私は抱いた。
いや、「ロールプレイでいいから楽しみたい」みたいなピュアな人がおったらめっちゃ可愛いんだよね、冷静に考えると。
でもその時の私は「初めて会う人が友達みたいに接してくるの怖いだろ普通www」みたいな斜に構えた態度で、その感想をTwitterにつぶやいた。
しかし、ふと「あっ、私実際に行ってもいないのにDisってる嫌な感じになってない?私は行きたいとは思ってない、というのを言おうとしたつもりだけどそれってわざわざSNSに書く必要ないよね…」と気づき、弁明するために「行ってみてから感想かきます」って宣言したのだった。やっぱ知らないものをイメージで悪く言わないの大事だよね。私はえんとつ町のプペルもちゃんと見てから悪口を言いました。
いざ、原宿
いろんなお客さんがいる
その日、ちょっとビビっていたのでたまたま遊ぶ約束をしていたお友達と一緒に『友達がやってるカフェ』に到着。
周りをみると、いろんな人がいた。
となりに若い女の子が二人組でやってきて隣に座る。店員さんには、別に最初から友達だったけど?みたいな店員顔負けのなれなれしさで接客を受けていた。びっくりした。「わざわざ知らない人が友達のように接してくるという非日常空間を楽しむ」んじゃなくて、「世界観に浸って楽しむ」のに向きすぎている。こういう人たちがディズニーランドやハリーポッターのスタジオパークみたいなところを支えているんだろうなって思いました。
ある男の子が単体でやってきて、席に座る。はにかみながら『いつも飲んでるやつ』を頼んでいちごミルクをのみ、飲み終わると颯爽と帰っていった。あまりにも潔い。好奇心でやってきて、どんな感じか把握し終わったらあとは普通のカフェ。お客さん自身が店員さんと話したそうにしなかったら無理に話しかけられることもない。私もお友達と来なければ彼のように颯爽と帰っていたんだろうな…。
いちごミルクうまい
『友達がやってるカフェ』ではメニューも『いつも飲んでるやつ(ランダムででてくるドリンク)』とか『店員さんの間で一番人気なのってどれ?(メロンソーダ)』など、友達に言うセリフのようなメニュー名で注文ができる。
私もせっかくなので友達として店員さんに接しようと、『いつも飲んでるやつ』を頼んだ。店員さんが「あ、いちごミルクだっけ?」と言ったので「あ、そうそう!ウマイヨネ」みたいな発言をした気がする。あまり覚えていない。
届いたいちごミルクを飲みながら、めちゃくちゃごろごろしている果肉がうまい。おいしいけど、名前だけ聞いたらいちごミルク頼もうってなる人少なそうだし、ランダムにドリンクたのまれたらイチゴ消化するためにいちごミルク勧めてるのかもな…なんてあまり性格の良くないことを考えていた。
しかし、いちごミルクうまい。
友達がやってるカフェの店員さん、若い
店員さんは男性も女性もいるけれど、私が行ったときは若いお姉さんがホールで働いていた。店員さん全員が友達のロールプレイをしてくれる。
ここで一つ問題があった。私がアラサーであることだ。ロールプレイをしてくれている店員さんたちはパッと見た感じ皆20代半ばより少し若いように見えた。
世代間のノリ、というものがあると思う。私には少し年の離れた妹がいるが、あった時に会話すると「お、ノリが違うな」とか「世代ちがうなぁ」と思う時がある。
店員さんたちは働いているので深くお話することはないが、返事の間や言葉遣いになにかしら自分の世代と違う感じがある、と感じた。会社でこのカフェの店員さんと同世代の子たちと話しても、同僚は友達ではないので(仲良しだとしても)このような違和を感じることは少ない。それに気づいて逆に楽しかったり、自分より年上でも普通に友達を演じてくれる店員さんたちに感心したのだった。私は私で、店員さんたちを妹の友達みたいに感じながら接客を受けていたのだった。
「店員さんへタメ語使う人ってヤバい」という価値観の呪縛
他にも気づいたことがある。私の中で、「知らん奴にはタメ語を使うな」という規律が思いのほか強く作用したことだ。
店員さんは友達なのでタメ語で話されるし、こちらもタメ語で話した方が自然な空間がそこにある。なのに、「店員さんには敬語を使っていない自分」が気になってむずむずしたのだ。
これは私が「友達がやってるカフェ」のコンセプトに浸りきれていなかったことが原因でもあると思うが、「知らん奴にはタメ語を使うな」とか、「店員さんへタメ語使う人ってヤバい」とか、そういう私の中の規律は何のためにある規律なんだと反省した。
なぜ反省したか?老化現象の一つでしかないからだ。
道徳は社会生活を円滑に進めるために存在する。その場面で相手が不快になっておらずなにか実害がなければ、一般的に非道徳的と思われることをしても本来は問題ないだろう、と思う。(なお、字義通りの意味解釈以外に勝手に条件を付け加えて論じたり、法律で罰せられる可能性について論じたりし始めることを認めない。ここでは重要じゃなく私の関知するところではないので。なお、私が前提とした道徳の存在意義への反論は良しとする。面白そうなので。)
「知らん奴にはタメ語を使うな」という規律は前提として「知らん奴にタメ語使われると不快になる」として、それを防ぐために存在しているのだ。今回のような「知らん奴にタメ語を使われても誰も不快じゃない」空間には意味をなさないものなのだ。
なのに心理的抵抗感を感じている私がいた。いつものように規律を守るよう、無意識レベルで行動しようとしていたのだ。
脳みそは加齢を経て、繰り返し行う活動をより効率的に行うことができるようになる代わりに、新しいことを学習したり臨機応変に対応したり柔軟な部分を削っていくらしい。(ソースは自分でさがしてくれ)
今回私はその場で意味のないルールとなった「知らん奴にはタメ語を使うな」を無意識に実行しようとした。これは加齢であり、脳みそを動かすのをサボったあらわれなのである。
店員さんがタメ語で話しかけてくれるから退店前には最終的にタメ語で返すことに違和感がなくなってきたぐらいにはなった。しかしカフェに行った時のことを思い出して、自分の脳が老化してるかも、なんて感想を持つに至るの、悔しいね。
スイーツをお任せで注文したらヴィーガン用のやつが出てきた
一緒に来たお友達とお話するのも別途盛り上がっていたので、途中で「スイーツ、おすすめのやつ頂戴!」と注文した。
しばらくすると生クリームの添えられたブラウニーが出てきた。
「それ、ヴィーガンなんだよ、ヴィーガン」
とスイーツを置いた後店員さんが教えてくれた。
ええんやで、卵も乳製品も使ってくれてええんやで…
おしゃれな人はあれか?ダイエット食品的な感覚でヴィーガン用スイーツ食ってんの?…ほぇぇ…
とか思いながら食べた。
卵も乳製品も使ってないと気づかないぐらいにおいしかった。びっくりだ。最近の卵・乳製品不使用のスイーツはとてもおいしいんだなぁ。
友達の距離感
友達ってどこからでどう接する?
友達ってお互いの好感度がバランスよくある程度高くないと友達って呼ばないよね。好感度低いと知り合い。知り合いと友達ってシームレスにつながってるよね。
どこまでが知り合いでどっから友達なのか人によっても違う。好感度が数値で表せるとして、65を超えないと友達って言わない人もいれば、20ぐらいですぐ友達っていう人もいる。
相手からの好感度も確認しないと人を友達って自信を持って言えない人もいれば、自分が友達と思ったら友達、な人もいる。
コミュニケーションの仕方も違う。例えば身体的な距離として、好感度30の友達に手をつないだりハグしたりできる人もいれば、好感度70超えてもパーソナルスペースに入ってきてほしくない人もいる。
「友達の距離感」ってとても難しいのに皆いちいちそういう様々な要素が絡んだ複雑なことを言語化しないで社会生活を営んでいるんだ…人間ってすごいね…
なんでこんなこと急に書いてるのかと言うと、店員さんと記念に一緒に写真を撮ってもらったときに距離が近くてびっくりしたからだ。
顔ちっか。なんかいいにおいする気がする~~照れちゃう~わ~って写真を撮ってもらいながら考えていました。すみませんでした。大人になってコミュニケーションもこなれたはずなのに、久々に自分の陰キャっぽい部分を発見して新鮮でした。
友達が欲しいって、多分本能
友達がやってるカフェに行って、友達が増えたみたいで嬉しい、という感想も抱いた。おぉ、疑似的でも友達って増えると嬉しいものなんだ。私は人とかかわるのが好きだが、友達が欲しい、と積極的に思うタイプでもない。どちらかというと高校1年生ぐらいまで今と違って、人と群れるのなんて苦手だぜ…系の根暗なやつだった。そんな奴でも友達ができると嬉しい。
社会で生きる動物の特徴って感じで野性的だな、と思った。山や森や海のような自然に囲まれたところに行かなくても自分の本能的な部分を感じることができるなんてコスパがいい。
おわりに
面白半分で今回友達がやってるカフェ行ってみた。変な部分や嫌なところがあったらきっと茶化しまくった感想になったのだろうが、予想に反して飲み物がおいしくて、店員さんの人当たりがよくて、スイーツもおいしかった上に自分の感情に意外性を感じ思考を巡らせるものになった。ちなみにやはり普通のカフェよりはお値段はお高め。いい体験でした。
変な場所に行ったりはやりの場所に行くと刺激になって面白いからどんどん行って自分の感情を振り返るべきだな、と思いました。食べ物だけじゃなくて体験も食わず嫌いしない方がいいね。
おしまい。
読んでくれてありがとうございます。