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8月6日 広島平和記念日に思った事【エッセイ】

暑い💦…暑すぎる💦
言わずにいられないのよね~(;・∀・)
やぁ~やぁ~言うとりますけど、皆さん無事に(?)
お過ごしですか?
世の中やれオリンピックだデルタだと連日テレビを
賑わせておりますが、ご存じの方も多いと思うけど
今日8月6日は【広島平和記念日】です。


戦争



1945年(昭和20年)米軍のB29爆撃機
エノラ・ゲイ号が広島市上空で原子爆弾
[リトルボーイ]を投下しました。
これは人類史上初の都市に対する核攻撃で、
これにより当時の広島市の人口約35万人のうち
9万~16万6千人が被爆から2ヶ月~4か月
以内に死亡したとされています。

さらに3日後の8月9日には長崎市へも続けて
原子爆弾が投下され、当時の長崎市の
人口約24万人のうち約7万4千人が死亡し
広島と同様にたくさんの命が失われました。

戦争を安易に語ることはできません。
なぜなら、どちらにも戦う”大義”があるから。

小学生の頃、初めて戦争について”社会”の授業で
”戦争”について習ったと思います。
それは”教科書に書かれている歴史上の出来事”
として。

細かい部分は覚えていないけど、自国の主観で
戦争が語られていたと思います。
もちろんその時は何の疑問を持つこともなく
曾祖父や、祖父母の時代にこんな悲しい出来事が
あったのだと思いました。
もちろん原爆についても習いました。

”アメリカ×日本”
"敵×味方”
”悪×善”


その当時、戦争について抱いたイメージは
こんな感じだったと思います。

内戦

少し大人になり
戦争について興味を持つきっかけになった
映画がありました。
それが”キリング・フィールド”
この映画はアメリカ人ジャーナリストと
カンボジア人の記者(通訳でもある)の目線で
カンボジア内戦での出来事が描かれています。

内戦という”目線”での映画はこれが
初めてでした。

一国の中で対立する勢力によって起こされる
”内戦”
原因は政権の座を争うため、民族的な衝突
(イデオロギー的な衝突)政府の統治能力の
低さから地域的な対立等が内戦勃発の
きっかけになる場合もあります。

内戦と言えば代表的な所では
”ソマリア”
も知られていると思います。
1980年代に内戦が始まり、軍のクーデターにより
政権が倒されて以降、15年近く
無政府状態となりました。
そこからいわゆる”海賊”が出没し始め
世界中に”恐ろしい国”と認識されるように
なりました。


内戦も国家間の戦争もそうだけど
対立し戦う事にはそれぞれの理由や
原因、言い分がある。

敵味方となった時に
相手の主観で物事を見る事はとても難しい。
それでも想像力を働かせ
相手の主観で物事を見て
自分の主観と並べて俯瞰で見る。
それが出来る人が未来を変えていけるのではないか
そう思うんです。

戦争に限らず対立し争う事
何の答えも導き出さない。
力を持つ強いものが勝ち弱いものが
負けたとしてもそれは真の勝敗ではない。

そもそも勝った負けたの
概念が戦争に必要なのか。

地球上にはたくさんの人種や民族が居て
宗教があり色んな思想がある
皆が同じ方向を向いて心を一つになんて
あり得ないだろう。

それでも
戦いや争いの果てに残るものは

”悲しみ”だけ

だってみんな何かの
誰かの為に戦うのだから。


目線を変えると新しく見えてくるものがある。
当たり前とされてることの全てが正しい
答えでもない。


そう考えることが少しでも出来たら
悲しい歴史を繰り返すことなく
与えられた命を
それぞれ人が
それぞれの人生を
命を輝かせ
精一杯生きられるのではないか。
そんなことを思う今日。

【広島平和記念日】


でした。

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