【エッセイ&映画レビュー】きみに読む物語を観て
「奇跡」は起こるって思いますか?
この映画は、奇跡は起こるものではなく「起こすもの」そう思わせてくれる、私の大好きな映画のひとつです。
実はDVDを持っているのですが、もう何年も観ていなかったんです😅。
有名な映画なので知る人も多いのではないかと思いますが。
先日も夜明け前に「エッセイ」を書きましたが、時々「自分の声」で書きたくなるんですよね、寝りゃぁ良いのに笑
忙しい毎日の中で時々、何か心を置き忘れていくような感覚があって。
そんな時、ふと目に入ったのがこの映画でした。
たまに映画見てnote書くくらいいいよネ?
あれ?私らしくないかな?笑笑
まぁこれも私ってことで。
きみに読む物語ってどんな映画?
※ネタバレあり
この映画はラ・ラ・ランドでも有名な『ライアン・ゴズリング』と『レイチェル・アクアダムス』が主演を務めた映画。どちらもカナダ出身の俳優さんです。
物語りは療養施設で、初老の女性に男性が本を読み聞かせながら、その物語の回想シーンを交えて進んでゆきます。
物語の主人公の青年ノア(ライアン・ゴズリング)はアメリカ南部シーブルックの製材所で働いていました。
ある日ノアは夏の休暇に訪れていた裕福な家庭の令嬢、17歳のアリーに出逢い一目惚れ、やがて2人は恋に落ちます。
真剣に愛し合っていた二人でしたが、彼はアリーに相応しくないと、アリーの両親によって引き裂かれひと夏の恋は突然終わりを迎えます。
引き裂かれた二人。
ノアはアリーへ1年間、毎日1通づつ、彼女への思いを手紙に書き送り続けましたが、アリーの手元に届くことはありませんでした。
やがてノアは戦争へ徴兵され、アリーは大学へ行き、その後出会った男性ロン(ジェームス・マースデン)と新たな恋をします。
ロンはハンサムで、ユーモアもあっておまけに大富豪。
アリーはノアとの恋から時間が経っていたこともあり、ロンを受け入れ婚約します。
そんなある時、アリーはふと目にした新聞でノアの現在を知ってしまいます。
ノアはアリーと約束をした思い出の詰まった大きな農園の古いお屋敷を買って一人で直し、当時アリーと約束した通りの家を完成させていました。
アリーは自分の気持ちに『けじめ』を付けようと、ノアに会いに行きます。
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ふと、物語を読み聞かせていた男性が手を止めました。
男性の家族が施設に面会にやって来たのです。
初老の女性は男性の家族に挨拶をしました。
そして
『会えてよかったわ』
そう言い残し、看護師に連れられ、部屋に戻っていきました。
『パパ、もう家に戻って』
『ママはもう思い出さない』
そう、初老の女性はアリー、 と読み聞かせていた男性はノア、物語りの2人だったのです。
『ママを愛してるんだ』
『私の帰る場所はママなんだよ』
アリーは認知症でした。
しかし、ノアが二人の物語を読み聞かせると、時々アリーの記憶が戻る時があり、ノアは毎日毎日アリーに物語りを読み聞かせていたのです。
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再びノアが物語を読み始めます。
再会した二人。
アリーを想い続けていたノア。
ノアを想い泣き暮らしたアリー。
お互いの思いを知った二人は確かめ合うように激しく愛し合います。
そこへ、二人の元へアリーの母親が訪ねてきました。
アリーに帰るよう説得する母親でしたが、ある工事現場にアリーを連れてゆきます。
その中で働く一人の男性を指さし、母がかつて愛した、駆け落ちまでした相手だったとアリーに告げます。
母親は、アリーと同じように恋をし、そして親に引き裂かれアリーの父親と結婚したことを告白しました。
『それでも間違った選択ではなかった』
そう言いながら涙を流す母。
母は、ノアが書き続けた365通の手紙をアリーに手渡します。そして
『正しい選択をしなさい』
そう言い残し去って行きました。
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『で?どうなったの?』
認知症のアリーは年老いたノアに畳みかけるように聞きます。
『まぁ焦らないで』
施設のアリーの部屋にはテーブルが綺麗に飾られ、少しばかりのごちそうやワインに見立てたぶどうジュースが置かれていました。
そしてまたノアがゆっくりと物語を読み始めます。
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アリーはロンの元へ戻り、正直な気持ちを話しました。
ロンを愛しているけど、ロンといる時の私は私じゃない。
そう気が付いたアリーは自分の中で
『正しい選択』をしました。
アリーは愛するノアの元へ。
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『ノア・・・』
アリーは目の前にいるのがノアであることを思い出しました。
『アリー・・・』
二人は思い出の曲をかけながらダンスを踊ります。
『このまま全部忘れてしまうのかしら』
『大丈夫だよアリー、そばに居るから』
『愛してるよ』
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お互い言い合ったすぐあと・・・
アリーは再び元に戻ってしまい、パニックを起こしアリーは医者や看護師に鎮静剤を打たれ、連れて行かれました。
一人の部屋で本を抱きしめるノア。
その本はアリーが最愛のノアに贈ったアリーが綴った二人の愛の物語でした。
その後、ノアは心臓発作を起こし運ばれてゆきます。
隔離された部屋で、魂が抜けてしまったようなアリー。
ある日の夜中。
一命を取り留めたノアがこっそりアリーの部屋を訪ねようとしますが看護師に止められてしまいます。
しかし、ノアとアリーが深く愛し合ってるのを誰より近くで見ていた看護師はノアが部屋へ行くのを見逃してくれました。
暗い部屋に横たわるアリーの元にノアが現れると、アリーの記憶は戻っていました。
『私たちの愛が奇跡を起こすと思う?』
『ああ思うよ』
『私達一緒に死ねるかしら・・』
『ぼくらの愛に不可能はないからね』
二人はそういって愛を語った後
『おやすみ』
アリーがいうと
『また会おう』
ノアはアリーと手をしっかりつなぎ永遠の眠りにつきました。
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感想
何度見てもドン引くほど泣いてしまうこの映画。
映画やドラマって先読みしながら観る人っているけど、私の場合それは無くって、その場面をじっくり噛みしめながら観るタイプなんですね。
この映画を始めてみた時、鈍ーーぃ私は
『このお年寄り二人はなんぞ?』
くらい思って見てたんです🥴
そして、このお年寄り二人がノアとアリーだと気が付いたのは、二人の子供たちが面会に来た時💦
いやぁ~
これ分かった瞬間もう号泣ですよ😭😭😭
認知症の妻に読み聞かせていたのが、自分たちの愛の物語だったなんて。。
これを見た人でもっと早くにこの2人がノアとアリーだと気が付いてた人っているのかな?
実際、認知症の人が、アリーのように少しの時間でも記憶が戻って来るのかどうかわかりませんが、ノアが読み聞かせることで何度かアリーの記憶は蘇って来ましたね。
それはひとえに、ノアの深い深い愛情と、アリーの心の奥底にあるノアへの愛情の記憶あったからこそなんでしょうね。
『奇跡は起こすもの』ですよ😭😭😭
うぅぅ泣ける😭😭😭
愛って何だろう。
これ、壮大なテーマですよね。
愛っていっても色々ありますからね。
人だけでなく動物や、物にまで笑
まぁ人で言うと家族、夫婦、親子、恋人なんかが身近ですよね。
では皆同じ『愛』かというと違いますよね。
家族や親子としての『愛』
夫婦としての『愛』
恋人への『愛』
形は全部違うけれど、共通して言えることは”見返りを求めない”で愛せるかどうかなのかなって私は思うんです。
愛されるではなく『愛せる』かどうかなのではないかと。
家族や親子、夫婦だって皆が仲良く同じく思い合えるわけじゃない。
ましてや恋人なんてもっとそう。
それでも『愛せるのか』が本当の愛なのではないかと思うんです。
ノアは映画の中の人物だし、実際日本人は特に『愛してる』なんて口にしませんよね?
むしろ『愛してる』なんて軽く口にする男は信用しちゃいかん!くらい言われてますしね💦
ただ、それはいい加減な奴の話で、本気で愛してると言ってるかそうじゃないのかくらい、その人の行動見たらわかると思いますけどね。
気持は行動に現れますから。
私の思う『愛』は見返りが無くても心から愛してるって思えるかどうかかな。
そして愛されてるかどうかは、言葉よりも行動に出るってよなって思ってます。
ただ、世の男性諸君!
本当に愛してる人にはここぞと言う時人生でそうはないかもだけど ちゃんと
『愛してる』
言いましょうよ!
だってこれ以上の言葉ありませんし!
色褪せないもの
よく『いい歳して恋愛って~』
とかいう人居るけど、あれって何なんでしょ?
『いい歳って何やねん、説明せい!』
と思ってしまいます😤
恋愛って別に若い人の特権じゃない。
いくつになったって恋愛感情もっていいと思うし、むしろ『もてよ』とまで思います(だんだん口悪くなってる説w)
それは夫婦になったって同じだし、子供が生まれたって同じ。
大切なことなのに人はそれを忘れがち。
でも、やっぱりそういう気持ちはどこかに持ち続けてるから、外に求めてしまったりするのかなって思うんです。(多くは語りませぬが笑)
まぁ実際、夫婦ってそれだけじゃなく色々あるから『離婚』ってのも多々あるんでしょうけど(✖アリでどの口が言うw)
まぁ形はどうであれ、いつまでも色褪せずに人を愛する気持ちは持ち続けていたいなと私は思いますね。
持ち続けられるってすごく幸せなことだし。
実際、ノアとアリーのように手を握って永遠の眠りにつける人なんてほぼほぼいないでしょうけどね🥹
でもそうなら本当、死ぬ瞬間まで幸せかも🥺
最後に瞼を閉じる時、目に浮かぶのが大切な家族や愛する人であって欲しいって思いますね。
人生の選択
生きていると何度となく『選択』する場面ってありますよね。
そしてその時に正しいと思った選択も、後になって『あれ?間違った』って思うこともあると思うんです。
でも選択する時って、大概考えるし何なら結構悩みますよね?
その果て、出した選択ってその時の正解なんですよね、結局。
そしてその選択通りに生きていたはずなのに『あれれ?』ってなる。
これは正しく言えば間違ったではなく、違った選択肢が見えて来ただけ。
なのでもし違った選択肢が見えて来た時は『間違い』と全否定や却下するのではなく、
『軌道修正』する時なのかなって思うんです。
そもそも人は間違うし、失敗もする。
そして、失敗なくして成功はない!
そうも思うんですよね。
最初からパーフェクトな人なんていないですから。常に全問正解~はない!
人生の選択や岐路に立たされた時その時出した答えはきっと
『正しい選択』
もしそれが失敗に終わったって、また『選択』し直せばいいんですよ!
アリーが最後、ノアと生きる人生を『選択』したように。
あとがき
この映画っていわゆる『純愛映画』と呼ばれるんでしょうかね。
この手の映画は毛嫌いする人結構いますが、人間誰でも本来持ってる感情だと思うんですよね、恋愛感情って。
それを本当にわかりやすく表現してるのがこの映画。
実際、こんな人いないかなって憧れますし、こんなふうにひたむきに人を愛したいなって思います。
それは異性だけではないですよ、家族だって親子だって、人間関係だって。
心の底から人を愛せない人は、心から人に愛されませんから。
ホント感情に真っすぐにブッ刺さるこの映画。
たまにこういう映画見て泣くのもありって思います。
私の超絶オススメ映画のレビューでした!
ノンストップで書いたけど長くなってしもたー笑笑
さ、寝よっと。