【エッセイ】~Life~
ども!お久しぶり過ぎます🙏
5月もあと数日で終わってしまいますね~早っ💦
年齢を重ねてくると流れていく月日の速さや時間の大切さを無意識に感じるようになった気がします。
今、これを読んでくださってるあなたの時間はどんな風に流れていますか?
唐突ですが
私の好きな曲で浜崎あゆみ”Life”という曲があります。
それは突然に
先日友人のお母様がこの世を去りました。
90歳を超えていたので大往生だとが、天寿を全うしたと言われるそうですが、当人にとってはそれが長生きと言われる年齢であっても悲しみは同じ。
友人は未婚でずっとご両親と暮らしていましたがずいぶん前にお父様は他界。
その後お母様とずっと二人暮らしで、年々足腰が弱くなっていくお母様をずっと側で当たり前のようにサポートしていました。
友人は、お母様との血の繋がりはありません。亡くなったお父様も血縁関係では”叔父”に当たります。
幼い頃からそんなご両親に引き取られ育てられた友人。
思春期に自分の生い立ちを知った時はそれなりにショックを受け、まだ見たことのない母親への思いや実の父親への複雑な想いもあったと聞いたことがあります。しかし育てのご両親への思いはずっと変わらなかったと話していた事がありました。
お母様が高齢だったこともあり、同居問題などが原因でずっと未婚のままだった友人でしたが、それを特に気にする様子はなくずっとお母様と暮らしてきました。
お母様はほんの数年前までは自分の足でしっかり歩けてもいましたし、食事の支度や庭いじりなんかも出来ていました。
当時、友人は話ていました。
「いつかって事は考えなくはないけど、こうやっていつまでも元気だといつか居なくなるなんて想像もつかない」
と。
今まで何度か、身体を悪くして入院したりしたこともあったけど、命の期限を知らされるような大事には至っていなかったんですね。
先日、数ヶ月連絡を取っていなかった友人から突然LINEが来ました。
「昨日母が亡くなりました…」と。
そして原因は肺炎だったとも書かれていました。
「もっと早く気が付いてあげてたら…死なずに済んだのに…」
「親孝行ってどんなのかな?ほんとうの親孝行をしてあげたかった…」
と。
親孝行ってなんだろう
長年の友人に、一体私はどんな言葉をかければいいんだろう、そう思い、LINEの文字を打つ手が止まりました。
私自身、20年以上前に父を”大腸がん”でなくしていたので、親を失った悲しみは痛いほどわかります。
私の父の場合は病気が見つかった時にはもうすでに手の施し様が無く、余命3ヶ月と告知されてからたった2ヶ月、51歳の若さでこの世を去りました。
当時私は23歳。
幼い頃は父との関係で色々あり疎遠な時期もありましたが、社会人になって父の偉大さや、背負っていたもの重さ、私に対しての愛情をやっと理解できるようになってきた矢先の癌の告知でした。
父が癌と言われるまでは今まで漠然と受け取っていた”死”という物が身近になり、例えようのない悲しみと、居なくなってしまうという現実を受け止めることが出来ませんでした。
その時思ったこと。
「私、何も親孝行できてない。。。」
でも
親孝行って一体何だろう?
「どうすれば喜んでくれるんだろう」
「何をしたら親孝行になるんだろう」
当時その答えを出せないまま、父はあっけなくこの世を去りました。
後悔
今まで生きてきて、後悔のない生き方をしてる人ってどれだけいるんでしょうか?
後悔って読んで字のごとく”後から悔やむこと”と言う意味です。
自分のしたことに反省したり悩んだりという意味を持つ一方で”恥じて改めたいと思う気持ち”も併せ持つ言葉でもあります。
後悔って一見後ろ向きのように思えるけど、”後悔”を出来るということは自分の行いや言動を含め、俯瞰で自分を冷静に見つめることが出来る人でもあると私は思うんです。
だから後悔は自分を悩ませるものでもあるけれど、そこから何かを学び活かし前を向くための貴重な経験とも言えると思うんです。
だから”後悔”って悪い事ばかりじゃない、そう思うんですよね。
親になって思うこと
自分が親になってみて初めて親のありがたみが分かるってよく聞きますよね。それって本当にその通りで。
そして親になってみて初めて思ったんです。
「無償の愛ってあるんだな」って。
私自身、我が子を愛する気持ちに対して見返りなんて考えたこともない。
親と言ってもそれぞれで一概には言えませんが、私は我が子に”ああして欲しい、こうして欲しい”なんて思ったこともありません。
前に、娘に手紙をもらったことがあります。
「これからはもっと親孝行ができるようにーーーー。」
そんなことが書かれていました。
その手紙をもらって思ったことがあります。
それは
「あなたがいるだけで、ママは幸せだよ」って。
そして一番の親孝行は
「あなたが幸せでいてくれることだよ」って。
私が、余命宣告された父に対して
「何をしたら親孝行なんだろう」
そう思っていた答えが我が子から気が付かされた気がしました。
無償の愛
これは親子にだけ当てはまるものではないと私は思うんですね。
恋愛や夫婦にだって”無償の愛”ってあるんだなって、年を重ねて初めて分かった気がするんです。
若い頃の恋愛は、好きな人には同じように思って欲しいし、いつの間にか自分が相手を思う気持ちのベクトルが相手に向いていたと思うんです。
だからこそ
「私はこんなに思っているのに」
「どうしてわかってくれないの?」
自分が思う気持ちへの見返りを相手に求めていたと思うんです。
その見返りこそが相手から愛されてるという安心感につながり、その見返りがないと「愛されていないのでは?」と不安になったり。
でも、そもそもですが
あなたは愛されてるという見返りが無ければ相手を愛せませんか?って話なんですよね。
それって本当に愛してるって言えますか?
こんな事偉そうにつらつらと書いてる私が言うのもなんですが、前の自分がそうだったからなんです。
でも、子供への無償の愛を知ったように、経験を重ねた今だからこそ、大切な人への”無償の愛”もわかった気がするんです。
何をして欲しいとか
何したいとか
こう思って欲しいとか
そんなんじゃなくて
ただ幸せでいて欲しい。
行きつくところ、無償の愛情ってどれも同じなんだなって。
そしてそう思う人の傍に願わくばずっと寄り添っていられたら、それが一番の幸せなんじゃないかなって。
時は金なり
誰でも知ってるこの言葉。
ビジネスシーンでもよく使われる言葉です。
でもこの言葉の本当の意味を考えたことありますか?
例えば、イライラしてるや辛い時、寂しい時って過ぎてく時間は長く感じます。でも仕事に集中していたり趣味に没頭していると時間はあっという間に過ぎていきますよね。
ダラダラと長く感じる時間を過ごしてリフレッシュしたり、はたまたゲームをしていて貴重な時間があっという間に過ぎてしまったり。
結局、時間って使い方で大きく意味が違ってくるんですよね。
価値のある長い時間もあれば価値のない短い時間もある。
時は金なりの意味は
お金と同じくらい”時間は無駄にしてはならない貴重なもの"ってこと。
誰にでも平等に同じ時間が流れています。
その時間をどう過ごすのか。
時間は有限です。
そして、その時間も誰しもがいつかは止まってしまう時が来る。
そう思ったら、より大切なものは何なのかって見えてくると思うんです。
何が幸せなのかって。
幸せとは
愛とは?幸せとは?なんてまるで宗教じみてる言い方だけど、これが幸せ!これが愛!って正解はないとは思うんですね。
だって十人十色ですから。
だからこれは私の価値観の中の話ですが
幸せとは。
”世界平和”
”人類皆家族”
そんな壮大なことは言いません。
今、あなたの側にいて
あなたが心から大切と思える人との
”時間”を大切に出来ること。
”幸せ”とは一緒にいる時間の長さではありません。
どんなに時間が短くても、限りがあっても
どう幸せに限りある時間を過ごせるか。
それが一番大切。
そう思うんです。
あとがき
運命に人に出会えますようにってよく聞く言葉。でも運命の人って、出会ってから運命の人になっていくものだと最近になって思うようになりました。
では奇跡って起ると思いますか?
運命の人と同じで奇跡は起こるものというより、起こすものなのかなって。
だから”運命の人との出会いは奇跡”ってよく言うけど
”奇跡を起こして運命の人になるべく人と出会うこと”そう思うんです。
今、自分の側にいる人は自分の鏡。
今の自分が出会うべくして出会った人。
それは良くも悪くもです。
運命は自分で切り拓き掴み取るもの。
奇跡は自分の行動から起こすもの。
そして
もし運命の人と思った人があなたから離れて行ったのならそれは運命の人になれなかった人。
もし奇跡が起こらなかったとしても、奇跡を起こそうとまで思えた それだけでその経験はどれも貴重な経験になり、これからの人生を豊かにしてくれるものと私は信じています。
抽象的な書き方になりましたが、何か刺さるものがあれば嬉しいです。
もう一度思い出そう
当たり前の様にいつもあると
思っているものは決して
在って当然なんかじゃないんだって
君がそれを教えてくれたんだ
奇跡を起こすんだ・・・
浜崎あゆみ Lifeより
Love is the greatest refreshment in life.
pablo picasso