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「PLAN75」は是か非か

私は、私は48歳で、子供がいない。これからおばあちゃんになっても、世に言う「孫の成長」のような生きがいは無い。老後楽して暮らせるような貯金も無いので、認知症のや貯金の枯渇に怯えるぐらいなら、サクッと死にたいと思っていた。

テレビでもよく見る社会学者の古市憲寿さんの著書「平成くん、さようなら」で描かれていた安楽死が合法化された現代日本を羨ましく思ったし、2019年に参院選に出馬していた議員の所属している「安楽死制度を考える会」のポスターを見て、この制度が可決すれば良いのに。とも思いっていたので、映画「PLAN75」の予告編を見たときに、夢に見た世界がどう描かれるのかとてもワクワクしながら観に行った。

結論から言うと、「PLAN75」自体、私にとっては「非」だった。こんなに待ち望んでいた世界が実現したのに、意外と否定的だった。

理由はいくつかある

1.主人公のミチが、登場人物の中の後期高齢者達の中で、友人の面倒見も良く、親や会社の言う事を文句言わずに聞く人生を送ってきたのに、一番最初に自ら死を選ぶ事になってしまった事。

2.「PLAN75」が生まれた背景は、国の予算を次の若い世代に使うために75歳以上の方に死んでもらう思想の元施行されており、その背景としては、若者が老人を殺す事件が絶えないという世論を反映した成り行きの施策である事。

3.「PLAN75」関連業者が「PLAN75」関連特需で売り上を上げる事や、そこの関連業者への便宜を図る役所の上役が美味しい思いをしている事。

日本政府の方針として、75歳以上の方々が意図的に命を落とす事によって削減する予算が、本当に次世代のために使われる所まで考えているのであれば、アリだとは思ったが、この映画の中の方針は、そこまで描かれていない。むしろ、住民票がなくても申し込みができる。電話の窓口サービスでは「PLAN75」をやめたくならないように誘導するなど、本当に次世代のために思っているのかが疑問に思えた。そこまで突っ込み所だらけの政策であれば、私はナシだと思った。

また、映画の背景にある、生産性のない人は死ぬべきだという思想を肯定する事になる事も怖いと思った。

私は冒頭のシーンを見た時に相模原市の障害者施設で起きた入所者の殺傷事件を思い出した。この映画の早川監督は、インタビュー記事の中で、この映画の着想はこの事件がきっかけだったと語っているので恐らくモチーフにしていると思う。

映画の着想は2016年、相模原市の障害者施設で起きた入所者の殺傷事件がきっかけだった。早川監督は米国の大学を卒業し、10年ほど生活。帰国してみると、日本では「自己責任」が声高に叫ばれるようになっていた。社会的弱者への風当たりが強くなっていく風潮を感じていた中で、事件は起きた。

生きる権利と生産性とを繋いでしまえば、老人は死ぬべきという発想になるだろう。だが、果たしてその発想をした人も自分を苦しめるという事になるのではないだろうか。

自分が老人になった時、仕事で失敗をした時、病気で何年も復職できない時。自分は死ぬべき人だと思ってしまうのではないか。そうなっても良いのか、今一度考えた方が良いと思った。

では、「PLAN75」を無がナシだとすれば、主人公のように身寄りの無い、収入も無い、住む所も無い人はどうすれば良いのだろうか。

映画の中では描かれていなかったので、この後は観た者に委ねられている。

私は、特に名案が浮かぶわけではないが、自分でできる事としては、自分の人生は自分で考えて選択するという事だ。「親に決められた相手を結婚する」「上司の言うことを何の疑いもなく真面目に聞く」などの他人軸ではなく、自分で自分の考えに基づいて決めようと思った。また、この映画を観た方が感想で述べている下記映画等を拝見し、もっと「人の生産性」と「死」の関係性について考えを深めていきたいと思った。

  • 藤子F不二雄「定年退食」

  • 浅野いにお「TEMPEST」

  • 「楢山節考」

  • 「大和物語」

  • 筒井道隆「定年食」

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